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本来のスピリチュアルってどこまでも自分と対峙すること

 

何かの流れで霊感占いとか霊能的アドバイスとかそれ系のブログに行き当たると芋づる式に同系列のサイトが出て来ますよね。

この間そういうのを斜め読みし歩いていたのですが、こんな感じでした。

    1.  この人はちゃんと見えない世界やそこにある対象( 図のオレンジの玉 )を捉えられている。
      私と同じところに意識の焦点が当たっている。
      でも 解釈が違う。

 

    1.  この人はちゃんと見えない世界やそこにある対象を捉えられている。
      私と同じところに意識の焦点が当たっている。
      解釈も合ってる。
      でもそれをこちらの世界で伝えようとする時、その表現では随分誤解を招くなあ。

 

  1.  繋がってもいないし分かってもいない。

 

1、2は、同じものを認識していても捉え方、表現の仕方が変わるのはそれぞれの人の視点、人生経験が違うからです。

なので確かにあちらの世界に繋がってはいるけれど、まだ若すぎるんだな・・みたいな人もおられますね。

 

ただ、殆どの人は3番目。何も見えていない。

何となくスピリチュアルという雰囲気に憧れて(何故?)スピごっこをしているだけの人たちが無意識に集まって

Cさんが口から出した言葉をDさんが口に含んでまた出して

Dさんが口から出した言葉をEさんが口に含んでまた出して

みたいなことを小さな輪の中で延々やっている。

だから皆言っていることが似たり寄ったり。

本当はあっち側にある目に見えない本質の世界では、各自の世界や正体というのは皆それぞれ想像もつかないほど異なっているので

本当にアクセスできているのであれば、話の内容が極端にバラバラになって当然なのです。

そうでなければおかしい。

 

それらしく文章を書ける人は多い。

そして皆『 ごっこ 』なので、その間違いや嘘を見抜けない。

言っていることの全部がベターっと間違いだったりウソだったりする人はいません。

大抵本当のことも混ざっています。だからよりそれらしく見えるんですよね。

 

『 ごっこ 』の人と “ 本当に分かる、繋がっている人 ” との違いは、実は持って生まれた霊感的なものではないと最近思う。

もちろんそれ要素はゼロではない。

けれども

目に見えない無形の世界に存在する自分の本体、本性にアクセスするというのは

こちらの世界でどこまでも逃げずに自分に対峙するということ。

自分を隅々まで誤魔化さず感知して認め受け入れ、自分の内側に深く深く潜っていくということ。

自分が無意識に誤魔化して来た不快な部分も、蓋を開けて『 そこにある 』と認めること。

つまり 究極に現実的 なんですよね。

 

それはとても勇気のいる痛くて苦しいこと。

しかも地味。周りから評価されたり儲かったりすることでもない。

面倒な現実から目を逸らしなかったことにし

ほわんとした耳触りの良い言葉だけを羅列してある、本来の精神世界とは何の関係もないなんちゃってスピリチュアル世界に逃げ込む。

そこではスタートが現実逃避、自分からの逃避、自己否定なので、その都合の良い言葉の羅列から出て来るのは

自分は歴史上の有名人物の生まれ変わりだ だったり

龍や眷属を顎で使えます だったり

神と会話できます だったり

世界は二極化します( 自分は当然進歩的な方、上の方、良い方に属する前提、そして他方を見下す )の分離思想、傲慢不遜な選民思想 だったり

神にお願いするだけで大金が転がり込んで幸せになれます系 の悪徳霊感商法や宗教ビジネス だったり。

 

自分に向き合えないということは自分を大切に出来ないということ。

自分をそのまま尊重できないということ。

自分を尊重できない人が他者や無形の存在に敬意を払えるわけもなく

ごりごりのこの世的価値観、この世的理想像をベースに『 あわよくば、本当に存在するらしい無形の世界の何かから恩恵を受けよう♪』くらいのもの。

今、世にある日本語圏の自称スピリチュアル界隈は、本来のそれとは最も離れた場所にあるように見えます。

( 他言語界隈ではどうかは知りません )

 

本来は

どこまでも自分という存在にまともに向き合って、気付いたら自分の本体やそれが存在する世界に繋がってたわ?

くらいのもの。

有形の世界を突き詰めて無形の世界に繋がる

陽極まって陰となる、陰極まって陽となる

まさにそのもの。

 昔息子が描いてくれた陰陽図

算命学はある意味方向が逆。

古代中国の暦学をベースにした東洋哲学、思想で自己を解析し把握しました、その上で

さあ、じゃぁここからあなたはどうする?

という現実を思いっきり突き付けて来る学問。

これも

陰極まって陽となる、陽極まって陰となる の循環。

 

以前はそういうわけで胡散臭い『 ごっこ 』世界に興味もなかったし(今もありません)、無関係で

占いといわれる世界も意識の対象外でした(今も基本、算命学以外はそう)

なのでそういうサイトを覗いても、上に書いたようなことがクリアに分かったようなことは一度もありませんでした。

なのに何故こんなこと書いているかというと、怪しいサイトがきっかけというのもありますが

今現在私は宿命の三柱と年運・月運も入れて5柱が異常干支

来年2月からは異常干支の大運がスタートするので常態が4柱異常干支、しかも二重干合になる

年運月運まで入れると6柱異常干支の時期も出て来るという珍しい状態になります。

なので、ここのところ接運の影響もあってか勘が異常に冴えているのです。

6柱異常干支を経験した人たち、どうやって生きてたんだろう・・ってくらい外側との境目が(もともと薄いのに)更になくなっている感じです。

注:6柱異常干支を経験する人というのはごく稀にしかいません、いらっしゃれば経験談よろしく

 

そうそう、なので本当にスピリチュアル云々いうのであれば

外から情報を入れるのではなく、むしろ外側を遮断してひたすら自分の中に潜る方が道としては正しいよ

ということです。

Lara Briz Paris Notre Dame on a Windy Day

 

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コメント

  1. うちの中学生の娘が二柱異常干支持ち、で大運、年運、月運、日運と細かいところまで含めれば6柱異常干支が揃う時期でした。(若年期天将星)

    今年は律音のために少し前向きに頑張ってますが、戊戌~己亥は人間関係で悩みがあり、部活動のクラブも厳しくて忙しい、体調も悪い上にひどい金縛りがしょっちゅうあって、よく夜中に私の布団に潜り込んで来ることもありました。

    本当にこの三年間はキツかった。。とのこと。
    私も一緒に悩み、本当にしんどかったです。
    そんな時に異常干支を振りかえってなるほど!だよね!と思っていたところです。

    それでもまだ、ありがたかったのは命があったこと。しんどくても何とかがんばっていたこと。

    辛い思いもしたけれど、その分娘も精神的に成長できたと話していました。

    拙いですが、私の娘の6柱異常干支の体験談でした

    • 体験談をありがとうございます。
      ただ異常干支が並ぶことは悪いことではありません。言葉の響きからそう考える人は多いですが違います。
      異常干支が並ぶ=命が危うい ということもありません。
      また、宿命で異常干支三柱と二柱では意味が全然変わってきますし、後天運も運気の影響力は大運、年運など全く違い
      日運はほぼ無影響です。
      なのでこれだけの情報では分かりかねますが、中学生くらい若いと自分の宿命より親の運気の影響をモロ被りしますし
      お嬢さんの調子が悪かったのは六柱異常干支とはほぼ関係ないと思われます。

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