いいよねぇこの曲。初めて聴いた時『ああ、神様がピアノ弾いてる』と思ったこの演奏。
。
絶対にこの人の演奏を聴きに行かないと!と当時思ったこの動画。何度でもここに戻ってきてしまう。最高に好きすぎる。シューベルトいいなあ・・そして神の演奏だからこそいい。別の人の演奏を聴いても『違う、そうじゃないんだ・・』ってなるもんね。
何の話かって?
昨日(日曜日)はケルンまで

青空で暖かそうだが天気予報によると体感温度マイナス9度!
プラハフィルのモルダウ(スメタナ)と新世界(ドヴォルザーク)を聴いてまいりました。

Bedřich SmetanaVltava (Die Moldau)aus: Má Vlast (Mein Vaterland)
Zyklus sinfonischer Dichtungen für Orchester Bedřich SmetanaTáboraus: Má Vlast (Mein Vaterland)
Zyklus sinfonischer Dichtungen für Orchester Bedřich SmetanaBlaníkaus: Má Vlast (Mein Vaterland)
Zyklus sinfonischer Dichtungen für Orchester– Pause – Antonín DvořákSinfonie Nr. 9 e-Moll op. 95 B 178(»Aus der Neuen Welt«)
素晴らしい贅沢なプログラムで良かった。うん、悪くなかった。
でも超ド級の大当たりではなかった・・・のでやはり耳は上に貼った神のシューベルトを欲するのでありました。

ケルンの大聖堂
本当に良いコンサートに当たると、その後もその曲やその演奏者の演奏ばかり聴いちゃうのですよね。何度も何度もその時の体感を呼び覚ますが如く。去年なんて1年間ずっと第九(ベートーベン)聴いてましたのでね。
でも違う曲を欲するってことは、つまりそういうことなのだ。
いやいや、算命学の話をしよう。
上記のようにわたくしは音の世界が好きです。
音楽みたいに鳴った瞬間から消えていくようなものに課金するという、究極に贅沢なお金の使い方をしています。そういう(一般人から見たら)霞の世界のようなところにしか心からの幸せを感じないからです。

もちろん家族仲良く子供が元気でいてくれたら嬉しいといった、有形現実世界での幸福もありますが、そこ(別の誰か)に依存せずわたくしという『個』単体で考えた時のお話です。
実際そういう命式です。
私の命式で物欲炸裂ゴリゴリマンということは、まあない。

若い時には人並みにそうであってもおかしくはないけれど、最終的には『そこじゃないな』と感性、感情、気持ち、精神の世界で自分を確かめる。感じる。思い出す。まがいものではない幸福を見つける。
でも世の中には物欲炸裂ゴリゴリマンはいて、それで大正解!

という人もいるわけです。そういう命式の人ということです。
今世はお金を稼ぐということを人生の主軸に据えて、そこに全振りして生きていいぞ!行けー!

社会貢献だ何だ綺麗ごとはまずドカンと稼いでから言えー!
みたいな人。有形物質世界で分かりやすく富を増やし幸せを感じる人ですね。
ある意味こういう人は、霞の世界でしか “この世で遭遇するとは露ほども想像していなかった超特大の幸福” を感じられないわたくしのようなタイプとは正反対。
これって何やろな~?
と考えると、そこにはやはり先祖の思い残しの念、因縁が出てくるわけですよ。もちろん先祖だけではなく自身の帰属するコミュニティ(社会、特に国)の未消化の念を浄化するという意味も含まれる。
人生で物質的には別に特に困らなかった。もしくは物質的にも困ってはいた。
けれどももっと気持ちの、感覚の、感情の、感性の上での『ああ、幸せ。』を大事にしたかったのにできなかったー!

この未消化&後悔の念、一体どうしてくれよう
という思い、念が重なっているからこそ、私みたいな人が生まれてきた。そこを大事にせざるを得ない生き方しかできないような人が。否定語×3、日本語ややこしくてすみませんね。
逆に有形物質世界での豊満こそ至福である!という人は

物質面で餓(かつ)えた、もっと豊かさと余裕を感じたかったー!
という積み重なった念の浄化をする役割を負っている。だから堂々と稼げばいいのです。
自分の持って生まれた本能や才能、生きる方向性などは必ず縁のある先人の念がベースになっています。
皆様はいかがでしょう?
もちろん0か100かの話ではなく、もっと複雑に色々なものが絡まってきてグラデーションの世界なので、気になる方は鑑定を受けられるといいですね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
とはいえ割合の問題で、無形の世界に幸せを感じるからそこだけやってりゃいいみたいな甘い世界ではないのがこの世。いずれにせよ有形・無形両方の世界に従事しなければ生きていけない。そこが面倒なところですよねえ。

実はケルンでKöthe Kollwitz/ケーテ・コルビッツ美術館にも行ったのですが、そのお話はまた別の機会に。

コメント