私は時々毒親について記事を書きますし
毒親という言葉も段々市民権を得て来た感がありますよね。
で、ちらほらニュースやブログ記事、本なんかで毒親について読んだ時
あらやだ?
私の親ももしかして毒親だったのかも!
そういえば私・・・
実家にいた時楽しかった記憶がないわ?
くらいであれば
これはもう100%
あなたの親は毒親ではない
断じてない
と言い切れます。
安心して下さい。
そんなヌルいレベルで
血の繋がった、育て且つ実の親との縁を
ぶった切る必要があると思うか??
って話です。
毒親というのは
何十年にも渡って間断なく、何の良心の呵責もなく
平気で子供の人生を隅から隅まで徹底して干渉し、搾取し、積極的にぶち壊し
精神面においても物理的な面においても
こちら側の日常生活が全く成り立たなくなるほどの
現実的な実害を及ぼしてくる存在
のことです。
そしてこちらに目に見える悪影響、実害が出ても当然のように責任なんか取りませんよ?
それどころか、こちらが弱っていることにニヤニヤしながら更につけ込んできて
ますます厚かましく、こちら側の人生をコントロールしようとしてきます。
そのくせ外向きの顔は
こんな災難に陥っている子供の世話をしなくちゃいけない
とても可哀想なワタクシ
こ~んなに可哀想なのに健気に努力する良妻賢母なワタクシ
を完全に演じ切り、世間の目を見事に欺きます。
ファッション感覚で
毒親持ちを名乗ってみようかな♪
程度の人には想像もつかない世界です。
そしてこんなもの、想像なんてつかない方が良いに決まっているのです。
毒親なんて言葉に一生関わらずに過ごせるのであれば、その方が良い。
流行のファッションを追う感覚で 『 アタクシも毒親持ちで~ 』 を気取ってみたところで
はいはい
アテクシ可哀想・・・な悲劇のヒロイン気取りね、よしよーし(棒)
と周りには白い目を向けられて、無駄に嫌な思いをして終わるだけ。
百害あって一利なし
ときっぱり言い切れます。
たとえ世界全体からそのような白い目を向けられたところで
それでも思い切って親との縁をぶった切らないことには
大袈裟でなく、こちらが食い潰される
殺されるよりは世界中に白い目で見られた方がまだマシ
そういう
何ちゃら味のカレーか、カレー味の何ちゃらか
というギリギリの瀬戸際まで追い詰められているのが毒親持ち。
もう一度言います。
もしかして・・・私の親も毒親かも?
と 疑問形で考える余裕のある あなたの親御さんは
間違いなく毒親ではありません。
ごく普通に常識的・標準的感覚で、子供として親に感謝して
親との関係をより良いものにしていけばいいじゃないですか。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Old Man at Celeyran, 1882 Lautrec ( フランス ) やっぱりロートレック上手いな、上手い。唸るわ。
コメント
15分ほど前にこちらの記事にコメントしたものです。古い記事にコメントしてしまい、お手数をおかけしてしまいました。念のため申し添えますが、返信のお気遣いはなさいませんように。
では、私が父母について苦しいと感じるのはなんなんだろう、不可解だと感じるのはなんなんだろう、怒りと嫌悪感で頭の中が真っ白に燃えるような気がするのは 大変な思いをしてかわいそうな私を気取っているだけということなのだろうか?
と(感情的になって)考えてしまいました。確かに私の両親は毒ではないでしょう。ただ機能不全の家庭ではあったと思いますが。
おそらく私はお伝えになりたかった対象からはずれたあたりに存在し、少しそれて受け止めてしまっているのかと思います。こんな虫がわいてしまうのもおそらく予期していらしたとは思いますが。
こんにちは。
機能不全家族だけど毒親ではないということは可能なのでしょうか?
私がこの記事を書いたのは、確かその当時ある作家さん(日本人ではない、確かアフリカ系の人だった)が
『名前を売るために今流行りの『私の親は酷い親で~大変な生い立ちで~』という設定にしようかと思ったこともあるわ、あはは~』
みたいなコメントを読んだことなのです。記事には言及しませんでしたが。