Bochum/ ボーフムという街まで角野隼人さんのピアノを聴きに行ってきました。
会場は古い教会を綺麗な小ぢんまりした素敵なホールに作り替えたところでしたよ。
これは Ruhrピアノフェスティバルの一環だったのですが、私のド本命はやはりこちら。
エフゲニー・キーシン氏。明後日です!
さて。
上のコンサートと全く関係ないのだけれど、行きの電車で考えていたこと。
実力って何だろうね?
果たしてそんなもの存在するのだろうか。
一生懸命練習するなり、学ぶなり、経験を積むなり・・・努力を重ねて『私は実力を得た』『私には実力がある』などと人は思う。自分でやったのですと。
でも人間ってほんの微細なホルモンバランスの崩れで性格や健康状態がどーんと変わってしまうほど弱い存在。ちょっと天中殺が来たから、ちょっと分離条件が重なったから・・・そんな程度で揺らめく存在。
『自分で』『身につけました!』などと思っていても、実は『実力があるとされる状態』を神様に下賜されているだけ。宇宙に経験させてもらっているだけなのだろう。
そして本当に大事なのは『実力があるとされる状態』であることよりも、そこに到達する過程やその状態において自分の魂がどんな色に変化していくのかを知ること。その状態での自分の本質を体験し尽くして、嫌というほど自分の本質を知るということなのだろう。
実力があるとされすごいですねと持ち上げられる時、自分の魂はどう反応しどうあろうとするのか。
実力がないとされ相手にされないような状態の時、自分の魂はどう反応しどうあろうとするのか。
どちらも経験しないと分からない。
どちらも自らの魂を知る経験としては等価。
ただ『実力がある』『実力がない』という状態を神に貸与してもらっているだけ。
だから時が来たら全て神にお返しする。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Bochumの会場の教会の中。
コメント