皆様、日曜の昼下がりですこんにちは。
まもなく下の子供たちが修学旅行的なクラスでお泊りする2泊3日の遠足に行くのです。本人たちはそっりゃぁもう楽しみにしていましてね。たった2泊3日だけのためながらも準備するものがまあ結構ありまして、それを嬉々として詰め込んでおります。
で、皆様の子供の頃って修学旅行なんかの時、お洋服を新調してもらいました?
私はですね、服も下着も持ち物も全くいつも通りで行ったらクラスの女の子みーんな新しい服を買ってもらっていて、ぴかぴかの格好で来ていたのです。あれは本当にびっくりしましたね。修学旅行のことは何一つ覚えていないのに、今でもそれだけはくっきりはっきりすごく覚えています。
わっ、皆親御さんに大事にされてるんだなあ
というのが私の最初に思ったことでした。
せっかくの修学旅行だからお洋服買ってあげようか?と親が言ってくれて、一緒に買いに行って、きっと自分で選んで、可愛いじゃない、それでいいじゃない?とか言われて買って貰ったのだろうなとその様子が勝手に脳内に再現されまして。
まあしょんぼりしますよね、私は。
別にそれで親を恨んでるとかは一切ありませんし、そもそも修学旅行に行かせてもらえたことに感謝すべきなのだろうからもちろん口は噤んでいました。仮にそんな話をしたところで
いつもの服で何が悪い~っ!?何にも恥ずかしいことなんてない!堂々としてろ!!
といった、こっちの気持ちを0.1㎜も汲むことのない完全に斜め上のコメントしか降って来ないのは分かっていましたしね。
まあ何がしょんぼりかというと、そういうイベントの際に服を買って貰えなかったということよりも、私には選択肢が全くなかったこと。何か私のためのものを買う際にも、全て母が決めていました。私にも好みや意見があるなんて思いつきもしないといった風で完全に無視、洋服でも文具でも何でも全部母が嬉々として
センスの素晴らしいアテクシがお前のために選んでやってるんだから黙って感謝しろ
状態でした。本当に何一つ自分で選ばせてもらえたことがありません。
つまり『あなたはどうですか?』が皆無だった。
何か意見を言ったところで
お金を出す私に口答えをするのか?なら自分でお金を稼いで買えばいい。私はお金は出さない、勝手にしろ~!
となるのがいつものパターン。そして全く私の好みに合わない残念な新品を
わーい、ありがとう♪
と喜んでいる風を装い感謝しなければならなかったのでした。
あの苦々しさと自分を偽ることに関する気分の悪さったらもう。
というところの反動が大きく、子供たちにはこういう機会になんか色々買っちゃうわけですよ。もちろん本人たちを連れて、全部本人たちに好きなものを選ばせてね。結果身につけるものは全部新調しちゃってますし、学校に行く際にも使えるから大きなリュックサックも購入しまして。これも自分が昔満たされなかった気持ちの成仏のため、というのがきっとあるのでしょうね。本人たちはそりゃもう大喜びです。
何故こういうことを書いているかというと、我が子たちは3人とも身強ではみ出し系の運。厳しく育てた方が良いのはどう考えても間違いない。でも私が幼少期&成長期の反動から、もしかして結構子供に甘くなってるんじゃない?という懸念がございまして・・・子供に厳しく!と頭で分かってはいても、結構難しくないですか?難しいんですよ(笑)
うーん、こういう機会にこの程度のものを新調するくらいであれば全然普通、甘やかしてることにはならないのか。
こういう時こそひもじい(?)思いをさせて成長のバネにすべきなのか。
難しいな。
私は実家が本当に狂っていたので、世間の基準があまり分らないところがあります。
なので算命学を学び算命学的な話はある程度分かっていても、実際の生活において細かい場面でどう判断や実行すべきかが本当に難しい。
私としては、愛情は十分すぎるほど与えるから後はそれを土台に好きに生きて行くといいよ、その代わり責任もって自分で自分の人生を切り開いていきなよ、信用してるからね、というスタイルで行きたいのだよね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Mental Arithmetic. In the Public School of S. Rachinsky by Nikolay Bogdanov-Belsky
コメント
我が家と似たご実家で、、、というより毒親は子供が喜ぶ顔なんか見たくないのでこうなりがちなんですよね。愛されて育ったという自信と、仲の良い兄弟に勝るものはないと思います。