すみません、なんか記事を書きかけの状態でUPしちゃってましたわ!
続きを書きましたので再UPです。
本日の神の一曲。
一曲じゃなくてリハーサルのほんの1分半の様子ですが、神(ロシア人ピアニスト、グリゴリー・ソコロフ氏)によるバッハのイタリアコンチェルト最高。最後ちょっとミスってるのまで素敵だなあ。この方の演奏は聴くとうっとり♪となるのではなく、要らないものがシャッと払われて自分があるべき位置にシュッと戻されるという感じ。私にとっては超強力な日々の栄養剤。何もかもが美しくて好きだなあ。
さて。
一極二元論とか相乗分類とかあの辺をまた勉強し直しています。
これ情報のインプットについてもバランスを取った方がいいんだなと気付いたことを書きます。インプットとアウトプットのバランスではなく、インプットのバランスの話。
インプットというと本を読む、先生に師事して学ぶ、ネットその他の媒体から情報を得る・・・などが一般的です。
でも ふと湧いてくる考え、ふと閃くアイディア(同じか?)、直感、違和感 などと言ったものも実はインプットの一種なのかも知れないなと思っていたのです。
ふとアイディアが湧いてくるって、じゃあ浮かんできた内容の出どころは?と。頭の中で起こっていることなので『 考える 』という言葉にまとめられていますが、よく考えるとそれって
自分の知らない世界から自分の世界にぽんと投げ入れられた、つまりインプットされた情報
なんじゃないの?
なんてことを考えていたのでした。
つまりインプットには
- 普通人が考えるような先生や本などから情報を得る=有形の世界からのインプット
- 自分にはあずかり知れない世界から自分という世界に投げ入れられる情報=無形の世界からのインプット
の2つある。
ということは相乗分類でこの2つを2元(陰陽)としたインプットという1極が成り立つ。
ということはここでも上2つのインプットのバランスを考えた方がいいってことになるのです。(※)
つまり
人間はつい視覚で確認できる情報に重きを置きがちだけど、無形の世界からのインプットも疎かにしちゃいけないな
ということ。
これは別に思い付きや直感を全て正しいこととして採用しよう!みたいな極端な話ではありません。
ただ『 ふと思いついただけ、気のせいだから真に受けるに値しない、だから却下 』といったようにすぐ切り落とすのではなく、とりあえず『 そういうこともあるかも知れない 』と一旦保留からスタートすればいいよねということです。
なんていう記事を数日前に書きかけて放置していたのですが、その間にこういうこと
があったので、やっぱりふと目に浮かぶ光景や何となく感じることも無視しちゃダメよ!ってことなんだなあと再確認したのでした。
閃きすぎな人
The Pleasure Principle (Portrait of Edward James), 1937 René Magritte
本日もお読みいただきありがとうございました。
(※)インプットのバランスも皆半々じゃないとね!という話ではなく、人によってどちらに重きを置くといいか変わってきます。これも命式から判断できますね。
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