最近我が街デュッセルドルフから渡り鳥が飛び立ちまして。
彼らが南から飛んで来たりまた南に飛んでいく時って、空高い位置を旋回し
みんな独特の声でわあわあ派手に大騒ぎしながら飛んでいくのですぐ分かります。
彼らの往来で季節の変わり目をハッキリと感じるのです。
今回も彼らが飛んでいくのをバルコンから見送ったその日の午後から、一気に気温が下がって冬らしくなりました。
すごいな、渡り鳥!
これは ↓ 全体で鳥っぽい形になった奇跡の瞬間(笑
スイミー、鳥バージョン。
ところで今朝新聞に出たらしい『 鬼滅の刃 』の最終巻広告。
私は外国にいるので映画も観ていませんし( TVシリーズは見た )特別に鬼滅のファンではないのですが
この広告を見た瞬間に久しぶりにぶわっと鳥肌が立ちましたね。
この世界で一番大事な本質がここに全部凝縮してる。
この作者さんって確かまだお若かったと思う。なのに本質をピンポイントで突いていて凄いわ。
三次元の物質世界に生きているから、可視化される現象や物体ばかりを人は追いがち。
でも三次元に居たところでやはり本当は、目に見えない世界、思いの世界が主役なんだよ。
その世界の影響力が大きいからこそ( 算命学でもよく出て来る )因縁という思い残しや後悔が継承されたり
徳を積むことが自分や後世にダイレクトに影響したりする。
皆お金や地位、名誉やモノにばかり気が行きがちなのは、こっちの世界で生きていくにはそれらがある程度は必要だから。
それがないとこの世界では命が持たないから。
とても大切なこと。
でも本当はある程度揃えば、そこから先自分を幸せにしていくのはモノでも地位でも名誉でもうんちゃらでもない。
それらは舞台の小道具であり、手段であり、脇役も脇役。
極めて有用な脇役。でも主役じゃない。
皆本当はそれを知ってる。
なのに脇役に固執してしまうのは、それがゼロだった状態からある程度揃った時の原始快感を忘れられず
もっと脇役が増えれば幸福量も比例するんじゃないか?と無意識に考えてしまうから。
そして多くは、脇役を増やすのは得意でも
自分をのぞき込んで自らの本当のところを汲み上げて、そこを本当の意味で満たしていくのが苦手だから。
もっと言うと、怖いということ。
自分を一生懸命幸せにしようと頑張って、それでも上手く行かないかも知れないのが怖い。
自分をがっかりさせたくない。
だから手っ取り早く、何か成し遂げた気分になれる物質世界に逃げ込む。
でも 結局は『 思い 』なんだよね。
死ぬ直前に
ああ、世界各国に大きな城を立てて銀行口座には○○兆円あってプライベートジェットもあって有名になれて幸せな人生やったわ~♪
と モノ を思う人はいないんじゃないかな。
この世には経験するために生まれてきてる。
様々な場所、場面、手段で色々な経験をするのが目的だけど、もっと突き詰めるとその本質は
そこで湧き上がる『 思い 』を経験すること。
考えではなく感情。気持ち。
それは目に見えない世界で確実に、密かに蓄積され、継承されていくもの。
消えはしない。
だからこそいくら正しいことを言っているようでも、正論の鉈で誰かをぶった切るようなことはしてはいけないし
誰かが大切にしているもの・ことを土足で踏んづけるようなこともしてはいけない。
この世界の本当の主役は思いの世界であり、目に見えない気持ちの世界。
それを改めて確認させてくれるような、素晴らしい広告でした。
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