ああそうか。
と朝起きた瞬間に思った。
この間の Erlkoenig/魔王 の話。

森の中を父が息子を抱えて、馬で疾走する。その息子を魔王が狙い追いかけてくるというゲーテ作詞、シューベルト作曲のドイツ歌曲。
(25秒くらいから音楽スタート、英語訳付き)
あれは日々の生活に追われる父親を表していたのかも知れない。
魔王は後から後からやってくる支払い催促。
そのために全力疾走する父は、逃げているのではなく命を繋ぐため必死に働く姿。
その間も息子は父に自分の方を向いて欲しい。だから必死に『父さん父さん!』と話しかける。

でも父親は子供の相手をしている余裕がない。
息も絶え絶えに何とか目的地に辿り着くが、その時には息子は息絶えている。
これは実際に子供の命が潰えたとそのまま取ってもいいけれど、子供の心は死んでしまったという強い比喩としての表現なのかも知れない。

こいつこんなことばっかり考えて生きてんのか…??
と思われそうですが、ホントこんなことばっかり考えて生きています(笑)

子供は大事だ(=腕に大切に抱えている)
だからこそ日々の暮らしを繋ぐため必死で働く(=必死で馬を駆ける)
でも子供は父親の意識がちゃんと自分に向いていること、そう感じられることを必要とする(=ずっと父親に訴えかけている)
父親は、でも子供に十分気を配ることと仕事を両立できない。足を止めるということは即ち生活が行き詰るということだから。
この葛藤だよね。現代でもこういう状況は枚挙に暇がない。
有形の世界と無形の世界の両立。(突然出てくる算命学)

いつの時代にも、これこそがこの世に生きる人間のテーマであり、大きな課題になる。
有形物質の世界さえ満たされていれば後は勝手についてくるかというと、全くそうではない。
物質世界を満たしてもらっているのだから、あとは自分でどうにかしろと子供にいうのは、とんだ勘違い。ナンセンス。無知。
無形の世界は無形の世界で、そちらに心を配って常に手入れしなければ枯れてしまう。

しかし一方で欲を出すのは全然悪くないのだが、全てをオールマイティーに100点に!というのは難しい。というより、人間必ず何かが飛び出て何かが凹むように出来ている。財には恵まれるが家族運が難しいとか、血縁関係には恵まれるが健康運が・・とかね。
だからこそ『今世では何を大切にし、これだけは押さえることにする!のか』を自分で決めることは大事なのです。

で、父と子。またわたくしの話になり申すのだが・・・
我が夫は “月の裏に住む人” です。
ドイツ語で “月の裏に住む人/ hinter dem Mond leben” とは(興味ある人は▼をクリック)
世事に疎い人。私風にいうと、世俗にあまり向いていなくて、バリバリ強く勝ち上がって生きていくタイプではない人。
いや、ホントこんな感じ・・・(挿絵)
だが私がとても評価している、というかありがたいと思っているのが、彼の意識がいつもちゃんと子供に向いていること。
とても子供に関心がある。その関心は外向きの演技ではなく、そこに『子供をこんな風に育てたら世間から自分の評価が高くなるかな?でへへ♪』といったゴミみたいなセコイ打算も一切ないこと。

子供を一人の人間として尊重しているし、心から大事にしている。
宿題やテスト、朝ごはんから個人面談、習い事などなど・・常に気にかけているし、私よりマメマメしいので私があまり頑張らなくてもいい(笑)さすが子丑天中殺である。

私の今世の最大の課題は、家系に延々流れる濃厚な毒を受け止めはするが、ここで断ち切ること。次に継承しないこと。
断ち切るということは、子供を一人の人間として尊重し、打算なくまともにそちらに意識を向けること。
まさに『気』を『配る』。
気を配るとは、無形の魂=エネルギーを分け与えるということ。だからエネルギーが要るし疲れるししんどい。
これは一人では難しかったと思うが、夫のおかげで子供たちは実に心が安定して、安心してマイペースで成長している。善き哉。
というわけで大黒柱が “月の裏の住人” なので色々と足りないところも多いが・・最重要ポイントは抑えられているかな。外してない。
子供たち。両親から一人の人間として尊重され、人権を認められ、愛され、大事にされ、必要な(両親からの)注目を必要なだけ集め、マイペースで成長できる人間は、それだけで人間としての強さが身につくのではないかと私は思っている。

そうなれば、自分で逞しく生き抜くことができる。
そうなって初めて私は、家系の毒の流れを立ち切れたということができるのだろうね。
というわけでどこに意識を向けるのか・自分の意識が本当はどこを向いているのかを知るのは本当に大事ですよというお話でした。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ゲーテは様々な解釈と議論を引き起こすことを目的としてこれを書いたのであれば、その意図通りになっているよね(色々あるようですよ、解釈)。この歌の解釈は人によって様々で、それぞれがそこから必要な気付きを得られればそれが大正解であり、ゲーテにとっても願ったり叶ったりなのではないでしょうかね。

Ausschnitt aus dem Fresko von Carl Gottlieb Peschel

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