ウェ~イ
気付いたことがあったよ~
ウェ~イ
先ほど、この記事
”同調:ネガティブな情報は自分には一切関係の無い、知る必要の無い、考える必要の無いこと”
を書いた後
『 ああそうか !』
と気付いたことがあったんですが、まずは
『 感性が異常 』
の話から。
私は四柱推命の命式で見ると、生まれた年、月、日を表す3つの干支が全て異常干支という『 100%感性が異常 』な人なのですが、それってつまり何なの?というところがイマイチ腑に落ちてないんですよ。今まで色んな説明を見ましたけれどね。
で、最近それについて考えていて
『 もしかしてこういうことかな ?』
と思い当たる部分があったので。
私にはですね、小さい頃から分からないことがあるんですよ。
それは
『 勝ち負け 』 の概念。
もちろん頭で考えて
『 この場合はこうなると勝ちでこうなると負け、そして勝ちは良しとされる。』
という判断はつくのですよ。
それは例えて言うなら
『 この女性はドイツ社会では美しいとされるカテゴリーに属する。
それは目で見て頭で分析はできる。
しかし私の感覚では何が美しいのか分からない。』
という構造と全く同じなんです( 余計分からんか )。
勝ち負けというのは、もういきなり幼稚園や小学校からスタートするじゃないですか。
同じ距離を速く走れれば勝ちで良しとされる
計算問題を速く正確にできれば勝ちで良しとされる
絵が上手れあれば
テストの点がよければ・・・
そこで優劣をつけて、まるで人に上下があるような感覚が出てくる。
実際できないと叱られたりする。
この人たち
(=そういう価値観を持ち込む先生他大人全般)
頭おかしいんじゃね?
と真面目に思ってました。
何故なら、その頃からハッキリと
人生は
他の誰かとの
比較ではない
と 知ってた からなんです。
そうであって欲しいと希望するとか、信じる・思うなどではなく『 知っている 』。
何で知ってるの?と言われても分かりません。
その勝ち負け・上下の価値観にすっかり汚染されてしまった人たちが、どうでもいいようなことに血眼になって競い合う。
心底 馬鹿馬鹿しい
と思っていたし、今ももちろん思っています。
じゃあ私は完全にそういったところから離れてていたかというと
『 どうもこの世界・社会で生きていくには、ここのところでは結果と言われるものを出しておいた方がいいらしい。とりあえずやっとこ 』
という感じで、その都度それなりにはやってきましたよ?
馬鹿馬鹿しくはあるけれど、ただ単に器用さで何とかこなすという感じでしょうか。
明日に つづく
コメント
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>>結果と言われるものを出しておいた方がいいらしい。とりあえずやっとこ
ご優秀な方の発想ですね。