外側が気になる時、つまり自分の意識が
どこどこの誰々が~
とか
周りの環境が~
という方向に向いている時
自分の限られたエネルギーが漏れ漏れ
です。
人間にはエネルギーは無限が~ と言ったところで、体を持って三次元の世界に生きている以上
一日に使えるエネルギーには限界があります。
その限られたエネルギーをどれだけ自分に集中できるかで人生は大きく変わってくる。
といったことを考えていて気付いたことなのですが
私の場合
今よれよれのヨワヨワだわ・・
って時ほど意識があちこちに拡散してエネルギーが漏れ漏れになりがち。
元気でエネルギーに満ちてる時は、注意すれば自分に意識を集中できる。
図にするとこんな感じ
自分に意識・エネルギーを集中するとは
自分はどうなのか
自分はどうありたいのか
に集中すること。
間違っても
自分の都合・我欲のために周りを都合よく変えよう
動かそうという方向にエネルギーを発散させることではない。
自分に意識を集中出来ていても、意識してないとすぐに外側に意識が向く。
自分は正しいのだと “ 正義 ” を振りかざす人もそう。
自分は正しいけど誰々は間違ってる、皆自分を認めてくれよぅ!
と意識が外側に向いてるから。
自分に集中するには結構なエネルギーが必要で、無意識に誰かに・外側に自分の人生何とかしてもらおうと楽な方に流れる傾向があるのが人間なのだと思う。
私にとっては
意識が自分に向いている人が本物
外側に向いてる人はニセモノ
この違いはとてもとても大きくて、もちろん自分も本物として生きたいと思ってる。
そしてニセモノ度が高い人ほど私は容赦なく離れる。
そしてずっと本物であり続けるのは結構大変なこと。
本物があっという間にニセモノに変化するのをよく見る。
でも実はその逆も可で 意識さえすれば エネルギーは必要だけれど、この瞬間に誰でも本物として生き始められるのですよね。
そうそう、このエネルギーの使い方について身強の命式を見るたびに思うことを明日書きます
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