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自分の死に際に触れた話

 

昨晩(12~13日未明)はこちらドイツでは ペルセウス座流星群が見えるとのことでしたので張り切ってスタンバイしておりました。結果、私一人が大きな流れ星を1度見ただけで、子供たちは全然見えず残念・・・しばらく子供たちと頑張って空を見続けていたのですが、全然出てこないので疲れて寝てしまいました。

 

 

もっとじゃんじゃん流れ星が見えるのかと思っていたのですが、そういうものでもないのですね(?)

でもお願い事4つできたのでいっか。

 

と、ここまで書いたのが昨日。そしてここからが本日:

昨晩(13~14日未明)に再びチャレンジいたしまして、私は4つ見えましたよ!特に大きいのが2つ見えたのですが、びゅーんと本当にクッキリはっきり存在感ばっちりで横切って感動しました。流れ星をまともに見たのって初めてです。そしてまた漫画のように『 ピカーン!』と光って消えていくだけ、動きなし!というのも実は流れ星なのだと学びました。ホントに漫画みたいな星ってあるんだね・・・

 


 

 

さて。

先日『 もしかしてちゃんと寿命まで(途中下車せず)生きられるかも知れない予感 』について書きました。

 

家族は自分の内側の陰陽バランス均衡化装置的なところがある
家族の存在って、互いに人としての敬意さえ持っていれば本当に上手くチームとして機能するようになっているのだと思う。本当にありがたいですよね。

 

別にこの世を儚んでとか、よくいう希死念慮・・・みたいな重い話ではなく、私にとっては物心ついた頃からこの世もあの世もとにかく近いのです。重なってる。なのでいつもいる場所なのです。地続きの隣の県より全然近い。

そして正直、生きてる人も死んでる人も本質は一緒だと知っている。なのでこの世からあの世に行くのも『 ちょっとそこのスーパー行ってくるわ 』感覚で行っちゃっても私の場合はおかしくなくてね。

まあまだまだ今世ではやることが山積みで今あの世に帰っても『 やるべきことの先延ばし 』になるだけ、夏休み最終日に溜まりに溜まった宿題をうんざりしながら片付けなくちゃいけないアレ状態になるのは分かっているので、こちらにこうして留まっておりますが。

 

上の記事の少しあと。

今度は自分が死ぬ瞬間に触れました。これは初めてだな。

その場面では死ぬ間際の私が

ああ、こんな風に死ねるなんてなんて幸せなんだろう。

いい人生だったなあ。

と心から思っているのです。とても安らかな気持ちでした。

場所は屋内で多分病院。ベッドに横たわっている私とその病室のドアの上の方が見えました。そこで私は親しい人たちに囲まれていたのです。嬉しいことですよね、ありがたいわ。

 

しかし意外でした。

何がって、その瞬間最初に思ったのは

えぇ!?めっちゃ普通やん?なんで??

だったのです(笑

私の場合素で生きているといちいち人とは違う変わったことばかり現象となって現れてくるということと、北に龍高星があるので、まあ大概変わった死に方するんでしょと思っていたのです。その場面を見ながら『 私、北に龍高なのに??』と思ったことも付け加えておきます(笑

 

 

あの心から幸せな感覚をあれから時々思い出していい気分に浸っています。

“ 未来を思い出す ” というこの世感覚で考えると変な話ですが、過去・現在・未来というのは一直線上ではなく実は1点に収束されているというのを以前見たことがあって、過去・現在・未来は互いに影響を与え合っているのですよね。

それはともかく、あんな風に人生を終えられるなら本当に幸せなことだわ。ああいう最後は今まで想像も出来なかったので意外も意外でした。

そして尚良かったのは、その時の私が皺々のお婆さんじゃなかったこと。歳を取るのが嫌とかそういう話ではありませんよ?ただあれは多分それほど遠くない未来だなと。思い出して『 いいぞ♪』となりました。長生きだけはとにかく勘弁して欲しい、というのが昔からありますのでね。

でも・・・実はすっごい年は取ってるのに皺がなかっただけだったらどうしましょう?それはそれでまあいっか(笑

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Death and the Miser by Frans van Francken II

お迎えにバイオリン生演奏付きってすごいサービスだよね

でも私の時にそれやるんやったら超一流の演奏家にしてよ、へたくそやったらキレるで。などと思ったり(笑

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

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