【 広告 】

家の隣に神社という夢とサステナビリティ

 

私たちはそのうちもう少し大きな、少なくとも7部屋はあるところに引っ越したいと時々不動産を見ています。

で、昨日というかついさっき、素晴らしい物件に既に引っ越している を見ました。

引越しもぜーんぶ荷物を積めるところから業者さんがやってくれて、何と30分で全て終わったわ

素晴らしい!

しかも子供たちが走り回れる庭がどーんとあるし、日当たりも良いし、家も新しくて綺麗だし

よくこんな家が見つかったものだわね。

と大喜びしてるのです。

で、そこはドイツなのに居間の大きな窓のすぐ向こう、隣の敷地は小さな神社なのです。

神様がすぐ隣にいて下さるなんてありがたいなあ、毎日お参りに行こう。

と普通に思ってるんですよね。

夜になるとちゃんと灯篭?ろうそくの光らしきものがほわんと灯っていて不思議でした。

 

起きてからそれについて、冷蔵庫を整理しながらぼんやり考えていました。

そうしたら急に

どの土地もその時生きるために一時的に貸してもらっているだけ

と、頭の辺りからお腹の辺りまで一瞬内側で、細い稲妻が軽く光ったみたいになりました。

 

そうだ。

持ち家だタワマンだと人間は極度に狭い世界と狭い視野で『 私の!俺の!』と張り合ったり自慢し合ったりするけれど

本来土地だけでなくこの世は一時的に住まわせてもらっているだけ。

様々な経験をするためにこの世界を使わせてもらっているだけ。

この世界は様々な経験をすることに特化された世界で

全ての人・生き物は例外なく元来た本来の居場所( あっち側の世界 )へ帰っていく。

沢山家や土地を持っていようが、小さい部屋を借りるだけだろうがそれは

色々な経験をしてもいいと許される期間、そこの場所を使わせてもらっているだけであって

実は大差ないんだよね。

というか地球視点では同じ。何の違いもない。

これはこの世界に存在する全てのものに当てはまる話で

この家が車が服が云々が私の!あなたの!とか、よく考えたらちゃんちゃら可笑しいんだわ。

もちろんそれもこの世で経験できること、この世でしか経験できないことの一つであり醍醐味ではあるのですが。

 

そして この世界は期間限定で経験のために使わせてもらっているだけ であり

同じようにこの世界を使っている人、今後使おうと思ってあちら側で待機している人は山ほどいる。

その人たちのためにも借り物であるこの世界の全ては大切に責任を持って使わないといけないな、と。

いや、今までも私はモノを大切に使うタイプで、物持ちが異っ常~~に良い人なのですが( 小学校の修学旅行で使ったバッグがまだあるわw)

もっと長い広い目で見ての話。

具体的には、環境に負担を掛けないようにプラスチック製品使用を減らしましょうとかありますよね?

その時ちょうどハムの入ったプラスチックの箱を手に持っていた

サステナビリティ、持続可能性、Nachaltigkeit を念頭に置いた生き方。

こんな感じ。これは セブンイレブンのサイト からお借りしています。

もっと気を付けないとな、と。

 

来た時よりも美しく

立つ鳥跡を濁さず

という日本の教えは素晴らしいと思う。

それをどこかに訪問した時だけではなく、この世とあの世の関係の中で人生丸ごとに適用すればいいんだよね。

 

Walk with lanterns, 1879 Repin そう、こんな感じで夢の中の神社では灯篭が光っていました。

今年はコロナで例年11月にある提灯行列もナシになりました。

 

応援ありがとうございます♪  にほんブログ村 その他趣味ブログ 占いへ 

コメント

タイトルとURLをコピーしました