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魂の成熟度

 

この記事の続きです:

究極の演奏=祈り
ヤン・リシエスキ氏のコンサートであっち側の世界に繋がって掴んだこと、分かったことが沢山あって記事に纏めたかったのですが あまりに大量、細々、バラバラで、纏められず本日まで伸ばし伸ばしに。 でもどうせ “ 気 ” の移り変わりと天剋地冲の最後...

あの演奏の完成度は、今世だけで達成されたものではない

この人生を実現するために、前の人生も、その前の人生も努力を積み重ねてきた人だ

 

的なことを上の記事で書きました。

 

これ端的に言うと、魂の成熟度が違う ということ。

人間の入れ物の中に入っている、その人の本質、正体の成熟度が違う んだな。

 

この世で生きている私たちはどうしても目に見える、五感で知覚できる情報のみで世界を捉えがちなので

年上の人の方が経験も、情報も、知識も、人間性も上だと短絡的に考えてしまいがち。

しかも

年上の言うことは盲目的に聞いとけ!

と教育されますが

全くそうじゃない。

 

私は常々、同じ時代に生きる人は同輩だと思っています。

先日の記事、三葉虫時代からの流れを考える時

この世における数年、数十年の経験の差なんて

この世で生きるという技術面での優劣はあるかも知れないが

魂の成熟度という視点で見れば、全くあてにならない。

年齢が50上だろうが下だろうがそんなものは何のあてにもならない数字で、同輩なのです。

 

ただし、魂の成熟度という観点で見ると、ここにものすごい差があるのだろうと。

今世で自分より何年も長く生きていても ( つまり年上 )

一体今まで何やってたんだろう??

と思わざるを得ないような、人間性と言うか中身の未熟な人が沢山いるのは皆さんご存知の通り。

 

逆も然り。

 

ヤン・リシエスキ氏なんて今世で言えば私の半分の年齢ですが

中身は私の大先輩みたいな部分があるわけです。

何で?と言われても、演奏を聴けば分かるとしか言いようがない。

 

人それぞれに魂の成熟度は大きく異なっている。

だからこそ

未成熟な魂の持ち主が、遥かに成熟した魂の持ち主の親であったりする。

子供側がその生き様、在り方を通じて、未成熟な親にどれだけ大事なことを学ばせることができるのか

未成熟な親が、より人間性の高い子供から如何に大切なことを学び取れるのか

逆に言えば

この世で当然とされる 親=上、子=下 という親子関係を都合良く悪用し

親が子に散々甘え、我が子の人生を惰性のまま食い潰すだけの人間に成り下がるのか。

これは親子でなくとも、会社、コミュニティーの上下関係でも同じ。

この世って、そういう試験場的な意味もあるのでしょう。

 

 同じ時代に生きる人は同輩。
 年配者に接する時も、人として必要なリスペクトと礼儀があればそれでいい。
 むやみに自分を下げて、自分をその人の下に置くことはない。

 

目に見える年齢云々や社会で器用に生きる技術の有無みたいなものに惑わされず

如何にその人の人間性を見抜いて

年上であっても有害であれば距離を置き

年下であっても魂の大先輩であれば心からの敬意を表して接し、その人から学ぶのか。

そういう視点を皆が持つことができれば、世界は大きく変わるのだろうなと思います。

 

余談:一緒にいて気が合う人、無理しなくていい人、安心する人というのはおそらく国籍、年齢、職業、性別、趣味云々関係なく、きっと魂の成熟度が同じくらいの人なのだと思っています。

 

Salvador Dalí Corn by Robert Whitaker France. 1967

天恍星2つ持ちであるダリさんの魂の成熟度は如何に

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

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