最近のこれらの記事に関連するお話。


あちらを立てればこちらは立たず。無理を通せば道理が引っ込む。
それと同じで、人生何かを成し遂げようと思うと、そちらに注力するために別の何かは諦めなくちゃいけない。もっと実際に即した言い方をすると、何かが手抜きになる。

これはフラゴナールの描くシーソー
何故なら人間には限界があるから。
有限物質肉襦袢にくるまって生きている以上、無限に活動はできない。

これは『北斗の拳』ケンシロウの肉襦袢
時間も然り。
空想の世界、発想の世界、知の世界は無限ですとは言えど、やはり24時間肉襦袢制限のある人間生活では体力の限界があり、その伸長にも必ず限度がある。
そんなことをこの年になると深く理解するものです。
いや、年齢は関係ないのかな。算命学の賜物でしょうかね。

選択によるシーソーは沢山ありますよね。
▶ 好きなものを山盛り食べて幸せを感じるために、スレンダー体型は諦める。

or
▶ スレンダー体型こそ我が人生、食べ物は全然諦めてヨシ!

なんかだと軽い笑い話ですが、例えば男性。
▶ 仕事で一旗揚げたい、なのでそこに全力投球。そのため家庭に割く力なんてなく放ったらかし。
バシバシバシ
or
▶ むしろ家庭生活というプライベート充実こそ至福、そのために仕事をしてるんだから家庭を疎かには有り得ない。

仕事に全力・全人生を賭けるにしても
▶ 寝食惜しんで健康を害してでも成功に賭ける
ウォー!
or
▶ 健康を維持できないとパフォーマンスも結果もダダ下がりするから、そこは守る。
健康第一
女性なら
▶ 自分は仕事でもっと活躍できる。小さい子が自分という母親をものすごく必要とする時期だけれど、そこは我慢してもらって(させて)仕事を優先する

or
▶ 金銭や後のキャリアのマイナスを背負ってでも、子供たちの気持ちを満たすことにする。

私の場合ですと、日本の日常生活が恋しくて堪らないけれども、そのマイナスを飲んででもドイツに居ることで得られる “最高レベルのクラシック音楽に日常的に接することができる環境” はどうしても手放せない。その天秤で日本の生活を手放している。
打開策として年2回一時帰国することで気持ちを静めています。一時帰国は自分に対する地鎮祭のようなもの(笑)
真剣
人間は日々選択の連続で生き進む生き物ですが、だいたい無意識ですよね。
でも意識するって大切です。
無意識に周りに流されて進んでしまうと、その長い過程で自分の心が分からなくなってしまう。
何を選択するかはもちろん大事なのだけれど、それを選ぶことで
何を手放したのか
何を犠牲にしているのか
それを認識するのはもっともっと大切です。
それを分かった上で悔いのない方を。

悔いの残らない方というのは、もっと具体的に丁寧に言語化すると
たとえその結果死後地獄に落ちることになっても、これがいいのだ!という方を選べ
だと思うのです。
過激でしょうか?
でも人生ってそれくらい真剣なものじゃないかな。大きな決断になればなるほど。そこにその人の人生に対する在り方が出てくるし、人となりが露わになる。
いや、なんとなくぼわ~んと選んで良い時もありますよ。その方がいい人だっています。
でもそれも究極は
自分の感覚を優先するより周りの意見に乗ろう
という決断、選択に他ならない。
大きな決断になればなるほど、分かりやすく両極端を比較すると
自分では不本意な道を選んだ、でも世間的には評価される。申し分ない。
素晴らしい評価にも拘わらずずっと釈然としないし不本意だし年を経るごとにイライラが募る。
でも今更やり直しはできない。
でも評価は高い。
なのか
これをどうしてもしたかった。しなければいけないと思った。
これだ!
世間的には評価されないどころかブーイングの嵐だ。
けれども自分一人の観点でも(例えば家系やコミュニティを救うという観点からも)、どうしてもこれが必要で重要で『これこそ我が人生の最大の課題』と確信したからこの道に入った。
思い残しはないが華々しく評価されるようなこともない。
評価はされないがすっきりはしている。
なのか。
どちらが正解なんてない。
どちらもOK、お好きにどうぞ。
ただ悔いがないようにねと。
念は残る。
放っておけば消えていくような薄いものであればいいけれど、濃く強いとそれに自ら縛られ死後前に進めない。(これが不成仏霊)

100%なんてきっと無理。
けれどもできるだけすっきりした状態、立つ鳥跡を(念を)濁さずでこの人生を終結できるように。
これって実は万人に課せられた隠れ課題だと思っています。
*
12月にお茶会をいたします。残りは12月7日(日)の枠のみ。

もちろん鑑定もいたします。


12月まで鑑定を待てない、通常のZOOM鑑定を希望したいという方はこちら。
本日もお読みいただきありがとうございました。

Maiden in Contemplation, 1893 by Gaston de La Touche (1854-1913)



コメント