やっっっっっと!先祖の戸籍から綺麗にあれこれ書き出す作業が終了しました。
(注:拡大しても見えません)
命式を血の流れ順に書き出して、それとは別にエクセルで年表を作ったらものすごく見通しが良くなりました。
それにしてもここまでの作業が大変過ぎた・・・これは命式を読んでいくという本番の “下ごしらえ” にすぎません。でも命式を読むのは普段やっていることなので、あとはやればいいだけ。楽しみなだけ。
父方の祖母を中心に図を作成しました。
というのも彼女側の方が沢山メンバーを辿ることができたからです。
よく見ますとその父(私の曾祖父)は養子、その父(私の高祖父)も養子。というわけで高祖父と玄祖父(高祖父の父)とは私は血の繋がりはありませんでした。
また高祖父は同じ家に養女に来た女性と結婚しています。昔はそういうことは多々あったのでしょうね。ご当人たちどういう気持ちだったのかなあ。願ったり叶ったりであったなら良かったと思いますが、以前にも少し書きました「天保の大飢饉」の年に生まれたのがこの高祖父。高祖母は誕生日不明。

で、こちら側は海沿いの街で今でも人口5千人くらいの小さな町。
恐らく当時はもっと少人数であったでしょうし、ネットで調べてみるとその約75%は漁師さんであったとか。
いや~分からないものですね。
先祖に漁師がいたなんて聞いたことがない。もしかして残りの25%に属していたのか・・・?
そして改めて「やはり」といいますか、ざっと広く命式を見渡してみると、私以降の血の流れも含めて見た時に異常事態が発生しているのは我が実母から。それまではまあそれなりに個性のある命式の人もぼちぼち出てくるのですが、全くもって常識の範囲内。そういう上に貼った家系図全体の流れの中に突然大異常因子乱入!といった感じになります。それを丸ごと受け継いだのが私さね・・・
ということはやはり母方の流れがもっと分からないと、本当に知りたいところがどうも分かりづらい。
まあでもあるものだけで色々解析してみましょう。
父方祖母側の親族が沢山いたあたりは海が綺麗なところで今も有名だそうです。行ったことがないので、1度行ってみようかな。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ちなみに我が高祖母が生まれたのが1858年。井伊直弼、日米修好通商条約、安政の大獄の年。
「井伊直弼像」 狩野永岳
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