才能と職業って分けて考えるのですよね、算命学では。
もちろん持っている才能がちゃんと適職にも該当していればそれは願ったり叶ったり。
でも必ずしもそうではない。
才能とは自分のエネルギーという枠の中で他と融合せずに、孤立してぎゅっと固まった能力のこと。他と溶け合わないということは逆にいうと他から刺激を受け続けるということで、これが大きいほど本人はこの才能を使わずにはいられない。落ち着かない。とことんまで使い切らないと心の安息は得られない。
何か物を作らずにはいられない、常に何らかの形で戦闘状態にいなければ生きている感じがしない、素敵なものを見つけたら絵筆をとって絵に描かなければいけない気がするなど。
これは自分視点でスッキリするかどうか?の話であり、それが社会に出て認められるか、仕事に繋がるかはまた別の話なのです。
ところで才能の出方の究極の形で天才型の命式というのがあります。
誰か適切な例はないかな?と思い探してみましたところこの方。
この方は1番の才能が大衆に向けた分かりやすい楽しいことを表現したり発信したりする鳳閣という星。
組織の一員として生きるより自分一人の能力で世を渡る方が楽。携わる世界も日常生活に直接的に役に立つ業界ではなく、非日常的で特殊な世界でのびのび翼を広げ大きく飛翔できる人。
その星が社会の窓口にあるので才能と職業が一致し、教科書のお手本のように命式に沿った人生展開を見せてくれているのです。
必ずしもそれだけで能力発揮が決定づけられるわけではありません。
この右側の「自分の意志で変えることができる」の部分の比重は、緑枠の宿命と同じくらい大きい。
なので宿命で見ればちょっとズレるけど意識の力、即ち「これをやりたい、やるのだ」の強い意志と行動で足りない分を補ってでも好きなことで世界を伸していく人は多いものです。
たとえば鬼滅の刃の作者、吾峠呼世晴さん。
この方も天才型の才能が現れる命式ですが、その才能は表現ではないし、分野もエンターテイメントではない。
既存のものを体験からできる限り習得し、それを自分カラーに染め直す。創意工夫を以て新たな形に創造し直し、知力を以て世に提供していくといった能力が突出する人。
それも集団の中でがっつり日常生活に役立つ何かに携わる分野で。
でも実際はごりごりのエンターテイメントですよね。完全に夢の空想の世界を創造し皆に楽しみと勇気を与えるといったような。
つまり何が言いたいかと言いますと、世にいう天才という人が必ずしも天才命式をそのまま正確に生きているわけではないということ。才能が飛び出る形ではなかったり、本人の希望と命式が少しズレたりしていても、熱い思いと行動力で変えていくことはできるのです。大変さは大きくなりますが。
ただ殆どの人はそこまで熱く「人生で何がなんでもこれをしたい!」という明確なものがない。
ないのであれば、命式に合った生き方をする方が無理に熱量を捻出しなくともスムーズに進みやすいよねということなのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
鬼滅の映画、ドイツでは言語+ドイツ語字幕でも観ることができます。今月18日から映画館でスタートで、子供たちがすごく楽しみにしているので私も観に行くつもりです。
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