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主星透干、生きて再会しないと意味がない

 

 

 

 

ものすごく落ち着かない日々を過ごしています。

 

夜中に起き出しては

 

 

私は死ぬまでに会うべき人にもう一度再会して、ちゃんと目を見て大事なことを伝えられるだろうか

私はちゃんと私を生きることが出来ているだろうか

自分に嘘をついていないだろうか

勇気を出してチャレンジすべきことにチャレンジしてるだろうか

後になって今を振り返って『 人生ああしておけばよかった 』と後悔しないだろうか

私はやっぱり “ この世 ” で生きるということにとことん向いていないのだろうな、何でこんなに生き辛さを感じるのだろう

私は他人に対してちゃんと自分を開けているだろうか(多分あまり開けていない)

自分の人生を何となくボケっとやり過ごすことなく丁寧に生きられてるだろうか

 

などと思いやたらメソメソしています。

 

 

これは今年の立春に一年の気が戊戌(つちのえいぬ)に変わってからずっとです。

 

 

そして今年は私にとっては

 

私の命式ど真ん中の星=自分を最も色濃く表す星 

の年であり心の奥底が浮き上がってくる一年。

 

何が浮き上がってくるのかと思っていたのですが、まぁ出るわ出るわ・・・チーン

 

 

特に先月、昔からの友人を通じて、子どもの頃お世話になった先生が2年前にお亡くなりになっていたということを知ってものすごい動揺してしまって。

その先生は人気者で、クラスの生徒はその先生大好き!で、途中から転入生として入った私のことも上手くクラスに馴染めるようにいつも気を掛けて下さっていたような人でした。

そんなわけで同窓会が結構何度もあり、行けばいつもその先生がニコニコしてそこに座っている、という感じだったのです。

その先生が今度同窓会があってもそこにはいない。

現に皆で今年頭に集まったという写真を友人が送ってくれたのを見ても、当然そこには先生の姿はなく。

 

今地球上どこを探してももう存在しないのだ、会うことはないのだ、何かを伝えたくてもちゃんと目を見て言葉で伝えることはもうできないのだ と思うとめちゃくちゃ動揺してしまって、怖くなったのです。

 

自分が死ぬことに対する恐怖心は昔も今も1㎜もない。

でも誰かに去られるのはとんでもなく怖い。

 

 

 

 

生きて再会しないと意味がない 

 

と強く思う。

 

 

生きて “ この世で ” ちゃんとストレートに、怖くても本当の思いを伝えることに意味があるのではないかな。

死んでしまったら再会できて当然だし、思いは伝えようと思わなくても伝わる(と私は思っている)

多分それだけこっちの世
界で素直な気持ちを誰かに伝えるということは勇気がいることなのでしょう。

 

どれだけ自分を偽らず、自分を覆い隠すことなく、自分のまま相手に接することができるのか。

 

やっぱり私はそこに戻って来るのだな。

私にとってやっぱり何よりも大事なのはそこ。

 

このブログの副題

 

自分として生まれてきた以上、自分であること以外にすることなんて何もないのよ

 

人に接する時も、何かに打ち込む時も、ただぼんやりしているだけの時も

いついかなる時も自分に誠実であること。

 

それをやり切ることが出来れば、おそらく私はこの人生で後悔することはないと思う。

 

 

赤薔薇

 

 

と、ここまで書いてやっぱり!と。

 

私の主星(=命式ど真ん中に出る私をメインに表す星)正官

気品、プライド、そして『ちゃんと』。

この記事に『 ちゃんと 』という言葉は何回出てきたでしょう 笑

そして自分に対する『 忠誠 』

自分という人間に対して 誠意をもって責任を果たす。

正官という星の特徴そのままです。

 

やはり主星透干の年なのですね。

 

 

 

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