このRuth Bader Ginsburg さんはアメリカ連邦最高裁判事で最近お亡くなりになったのが記憶に新しいですが、この言葉。
あなたにとって大切なもののために闘いなさい。他の人たちが協力したいと思ってくれるような形でね。
こういう風に本人が大切だと思っていることを言葉に直す時って、必ず無意識にその人の持って生まれた本質が出るものだと思うのですが、この方の場合は『闘い』。彼女は庚辰の人です。アメリカで、女性で、あの時代から27年最高裁判事。そりゃあ毎日が闘いだったでしょう。一人での闘いではなく『周りを巻き込みながら』という共闘の呼びかけも、社会の場に石門星を持つ庚の人そのまんまだなと感心してしまいます。
そしてこの方、リュック・ベッソン監督。『レオン』で有名なフランスの映画人。
皆と違ってる人というのは、皆にとって恵みなのだよ。
In seinem neuen Psychothriller “Dogman” kritisiert Regisseur Luc Besson, dass Anderssein oftmals als negativ angesehen wird.
訳:自身のサイコスリラー映画『Dogman』という新作の中でリュック・ベッソン監督は、“ 他と違っていること ” がしばしばネガティブに捉えられることを非難している。
ほーん。
いうてもまあ現世に馴染みやすい命式なんやろ?
と思って命式を拝見しましたら、まあまあな変人さんでした。よしよし。(←)
こういう “ 周りとかなり違っていて皆と同じになろうと努力してもできない ” 人というのは、その違いを恵みであると受け入れられるまでにしばしば時間がかかります。
欧米は日本みたいに同調圧力なんてなく自由主義だぁ~個人主義だぁ~なんてそんな都合のエエことありますかいな。一旦ガッツリその中に入り込んでみ?カラーは違えどごっついぞ?というのがこの監督のこの言葉からも感じ取れるでしょう。
まあこれは人種差別だなんだ以前に、人間には “ 自分と異なるものに恐怖し、故にそれを排除したくなる性質 ” が備わっているからなのでしょう。この場合は云わば危機管理能力の行き過ぎバージョン。
なので特殊命式、キャラの濃い命式の人というのはその迫害を受け気味なわけです。幼少期から。そして自身には何の悪気も悪意もないのに自然な在り方をなじられたり、それを別のものに変化させることを理不尽に強制されたり、腹立たしいこと限りないという経験を積み重ねてきますね。
まあここですよね、本当に生まれつき変わってる人と “ なんちゃって変人 ” の違い。 “ なんちゃって変人 ” さんたちは
日頃現世(この世の社会)でぼちぼち上手くやってるけど何となく変わってるということにしとけばちょっとカッコええかな♪
気分で『自分は変なんです』と嬉しそうに積極的にアピールをします。
逆に本物はとにかく平均的一般的その他大勢カラーにどう頑張っても染まれない自分を死ぬほど恥ずかしく思い、それを何とか皆と同じように成れるよう矯正するのに人生前半、特にエネルギーを使います。そして口が裂けても『自分は変なんです』アピールなんかしません。それがバレたらまた迫害されるぞ・・・を身をもって体験し続けているからです。
なのでリュック・ベッソン監督は
変わってて何が悪いんやゴルァ(怒
をずっとお腹に抱えて、やっぱり黙ったままではいられん!とこの年で映画作品にまでしちゃうほど変人ゆえの辛酸を舐め尽くしてこられたのでしょう(笑)分かるぞ―分かるぞー
こういうモチーフって結構良くありますよね。分かりやすいところでは、みにくいアヒルの子。
私の好きな X Menシリーズ。
BLEACHの死神代行消失篇に出てくる完現術者/フルブリンガーたち。
少数派には理解されず無理に変わることを期待され、迫害されがちという辛さが付きまとう。けれども皆と違うからこそできる何か、生き方を実現できれば人とは違った濃い人生を送ることができる。
だって正直、皆と同じなんてつまらないじゃない(笑)
多数派に属せれば安全ではあるけれど無味乾燥で面白みはない。安全より満足を選んでこそその異質さが生きてきて面白くなる。人生はそうでなくっちゃな。
本日もお読みいただきありがとうございました。
コメント
佳代さん、初めまして。
初めてコメントをさせていただきます。
リュック・ベッソン監督の「皆と違っている人というのは、皆にとって恵みなのだよ。」という言葉は、周りと同じ様になかなかできない自分を責めがちな私の心にとても沁みました。
この記事を読んだ時に涙が出ました。
佳代さんのブログは、とても勉強になります。
感謝の気持ちを込めて…
お返事遅れましてごめんなさい。
本当に!変わり者命式をちゃんと変わり者として生きている(←褒めてます)人の言葉は力になりますよね。
きっと大変な思いをしてこられたのだなあと思いつつも、目標にしたくなりますね。