前回からの続き:
これだけ歴史に確実に悪名を残すような巨大な規模で、残酷性の高すぎる戦争への決断をするには、相当の動機とエネルギーがいるでしょう。
何年もかけてコツコツと全方向に隙のないよう、完璧に準備を積み上げるそ気力と体力、そしてそれを継続させる動機。それは一体何なんだろう?と思っていました。
ここからは図の右側(環境)の話です。
これだ、これが原因。これが怒りの種であり計り知れない破壊のエネルギーのもと。
プーチン氏の実母とされる女性が語っていたところによると、プーチン氏は彼女と既婚男性の不倫の末に生まれた子供。彼女が別の男性と結婚すると父は血のつながらないプーチン氏を疎むようになり、10才になった頃レニングラードの祖父母に預けられた。
しかし祖父母は高齢で子育てができず、寄宿学校に入学。
その後 “両親” に引き取られたという。
私は生きる上ですることの全てはスキルだと思っています。そのスキルは必ず誰かから受け継ぐもの。
人が大切に思っている物・大事にしている物を貶したり粗末に扱ってはいけない、というのは私の感覚では一般常識です。自分がされて嫌なことは人にしてはいけない、の派生形ですよね。
でもそれが分からない人がいる。
何故かというと、それはその人が自己形成過程で誰からもそういう教え・態度を受けてこなかったから。そういう空気に触れてこなかったから。
小さい頃に自分を大切にして欲しいという気持ちはあった、でもしてもらったことがないので「 大切にされる 」ということがどういうことか分からない。その裏表で「 人を大切にする 」ということももちろん分からない。本やドラマで見たことはあっても、経験したことがないので感覚としてサッパリ分からない。
自分(=母や実父、血の繋がらない父)のためなら少年プーチンの気持ちを潰しても身体に害を与えても全然平気という人に囲まれる生活が何年も続いていたら。「 お前なんかどうでもいい、気に掛ける価値もない 」というメッセージを受け取り続けるしかない、そこから逃げられない生活を送る苦しさを想像できますか?大抵の場合はそんなこと間違っても理解されません。そんなことまだ言ってんの?と冷笑され更に傷ついて終わり。これは「 自分は大切にされる価値のない人間なのだ 」という感覚を更に積み重ねることに繋がる。
そして同じく成長過程で自分の気持ちや存在を大切にしてくれる人がいなかったら。
外国語に縁がなければいつまでたってもそれが分からない、身に付かないどころかその存在すら知らないまま、それが存在しない世界に居続けてしまう。それと全く同じなのです。
自立するまでの期間、特に家庭環境というのは子供にとっては一種檻のようなもの。愛のある家庭ならそれは子供にとって自分を守る要塞になるでしょう。しかし親が親としての役割を果たさない機能不全家族の場合、何をどう頑張っても、どれほど過酷で残虐な環境でも逃げられない。逃げ場がない。そこで何年も邪魔者として扱われる毎日を送れば、ひたすら耐えて怒りを溜め込むしかないのです。
そしてそれは後年、怒りの種となってあちこちで泥をぶちまけたり爆弾のように爆発します。その過程を経ないと自分が押し潰されてしまい生きて行けないからです。
それこそが私がよく書いている “ 家系のドブさらい ” であり解毒作業。
つまり今全世界は、彼の壮大なドブさらい・解毒作業に巻き込まれている。
正確にはドブさらいが今まで上手く行ってこなかった、そのツケが爆発している。その爆発に巻き込まれていると。
「 お前なんぞどうでもいい 」と自分を粗末に扱った家族、そして世界に対する膨れ上がった怒りが、今彼を取り巻く運気、天剋地冲の宿命、強大な権力などと相俟ってコントロール不能で暴走している。だからこそ「 ウクライナの人たちは同じ民族で同胞だ 」と言いながら平気で爆撃し何もかも吹っ飛ばす。「 こんなに子供たちが苦しんでいるのですよ 」と訴えたところで全く通じない。何故なら子供を大切にするという “情” に触れられず、それを身につけることができなかったから、何を言っているのか分からない。
表面的には「 旧ソの歴史がこうだったから 」「 彼がKGB時代旧東ドイツに居た時ベルリンの壁が崩壊して 」「 米ソ関係は 」「 NATOやロシア周辺の緩衝国家に対して 」云々たくさん理由はあるでしょう。それは間違いではない。でもそこじゃないんだ。それらは実はきっかけであり、無限に湧いてくる本当のエネルギー源は彼が内に溜め込んだ怒りと憎しみ。
ではどうすれば彼を止められるのかは私には分かりません。何故なら、彼の内側をこうして見ていっても私には理解できない部分があるからです。それについては気が乗ったらまた続きを書きましょう、ということで。
でも多分・・・内部から崩壊していく気がしますがどうでしょうか。その時に「 死なば諸共!」とならないことだけは祈ります。
Dawn in St. Petersburg, 1870 by Fyodor Vasilyev
ウクライナカラーを纏う、ロシアの画家が描いたサンクトペテルブルクの風景
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