昨日に引き続き 大分訳の分からない話 を展開します
私が大好きなオーストリアの画家、Gustav Klimt 先輩
( 傷官+帝旺 の先輩という意味で )
これを描いた人です
この人は 自身があの世とこの世の中継点であった ともいえるし
中継点を作品として作り出すことが出来た or
作品の中に中継点を作り出すことが出来た人 だと思っています。
クリムトは特に好きじゃないんだよな~
なんて思っていた私が、今年の春すごい衝撃を受けた絵がこれ
目 ですよ、目。
カンディンスキー、アンリ・マティス、ゴッホ、ピカソ、シャガール、ムンクなど有名どころの作品数点ずつに混じって展覧されていたクリムトのデッサン。
他の画家たちの作品は
(´・∀・`) ヘー
状態で歩を緩めずスタスタ ( ほぼ素通りでw ) 歩きながら眺めていたのが
このデッサンの前に来た瞬間に
反対側の壁まで吹っ飛びそうになりましたよ。
ええええーっ?!
って心の中で叫んだの覚えてます
それくらいの衝撃。
上の作品もそうですが、クリムトの作品の多くは、その 『 目 』 があの世とこの世の中継地点になってます。
目が生きているというか、そこが出入り口で色んなものが出たり入ったりできるようになっている感じ。
いや、その 『 目 』 を通じて向こう側からこっち側に出て来れるわけではないのだけど、その 『 目 』 に宿ってこっち側を見ることが出来る場になっている という感じです。
ほらね、こういった作品たち。
この辺になってくるともう絵全体が中継点という感じですが
それでもやっぱりその中に明らかに核になる中継点の『目』があるんだよなあ。
上の絵の左下にある女性の目を拡大するとこう
ね?
でも全ての作品がそうというわけではなく、例えばこれなんかは
実に精巧で申し分なく完璧ですが、まだ通路にはなってない時期。
この少女の絵はものすごく細かいところまでリアルに描き込まれているのですが、実はこれ絵ハガキくらいの小ささなのですよ。
すごいよね、やっぱりKlimtは地球外生命体だったんだと思うわ
次回はまた 傷官+帝旺 の音楽家の話に戻ります♪
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