ありますよね
うううう羨ましいいいいぎぎぎぎぎぃ!!
という時。
私は昔から殆どないのですが完全にゼロというわけでもなく、昨日ひっさびさになりましたわ。
天は二物を与えずというのに、神は何故この人にはイチモツを・・じゃなく二物も三物も四物も与えたもうたのかいおいコラァ~!!
いや~もう何十年ぶり?くらいにストレスをほんのり、しかし継続的に感じるくらい嫉妬が湧きましたよ。
昨日のわたくし
私が『くっそー!』と本気で羨ましいと思うのはいつも男性なのですよね。
男性の生き方 と 女性の生き方 ってやはりどうしても根本的に変わってくるところがあって、女性の生き方としては色々『好き』を突き詰めていくと(あれもこれも欠ける現状ではありながらも)今の生き方に辿り着くやん?というのがおおよそのところで。
多分根本的致命的な不満はないのだと思う。
なので女性に対して基本妬嫉というものが芽生えたことがない。
(あの人太らない体質でいいなぁ~くらいはあるけれど、それはここでいう妬嫉ではない)
けれども男性の生き方はやはり女性として生きている分には出来ないところがあって
あああああああ男だったらこういう生き方できるんだよなあああああああ羨ましいいいいいいいいいいい!
が何度も顔を出し。
しかも二物も三物も四物も系。
見た目こんなじゃないけど中身絶対これ
いやいやそれでも。
こういう時に力になるのが算命学ってもんでございましてYO。
命式を一目見れば誰にだって大変な部分があると分かる。
外側には あれもこれもパーフェクトやないかコラァ!に見えても、命式一瞥で
あら?この方〇〇の面で人生修業を積まれるのね・・この方も大変なのね。
とシュッと妬嫉の炎は消える。
9割くらいは。
1割残っとるんかーい!
いやホントね、あれもこれも恵まれているように見えてもみんな必ずそれぞれに『人生修行道場』なるカテゴリーがございますんですわ。
しかし
どうせ修行するにしても “世俗的な視点” で高いレベルで修業したいわ~
となるのが人情というもの。
でもね、本当のところは “世俗的な視点” での云々は重要ではなく
与えられた状況や能力や環境をスタートに生涯でどれだけのことを成し遂げられた?伸びた?魂的によ?
というのが重要。
・・・・・。
分かる。
頭でも分かる。
心でもお腹でも分かる。
分かっとる!
あ~分かっちゃい~るけ~どぉ~デデンデデデンデン♪ ←壊れた
はい、自分のことに集中しましょう。
本日もお読みいただきありがとうございました。
これはムンクの顔が緑色になるほどの『嫉妬』
Eifersucht, Munch
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