齢50になりつくづく思うのは、好きなことは誰にチャチャ入れられようと続けた方がいいということ。
特に入り口は分かりにくくても奥が深い何かというものは、続けるほどに味わい深く、果てがないので安心してのめり込める。
例えば私の場合はクラシック音楽。
母に突然教室に連れて行かされ、習わされてスタートしたものでありながら
途中
そんな何の役にも立たないものやめてしまいなさい。
「 私はやめたいのです 」と嘘でもいいから先生に言ってやめて来なさい。
とへし折られそうになりながらもそこだけは意地でも食いついてやめなかった。
その後夢が叶い希望通りソリストの仕事で世界を飛び回ることが出来た。
けれど30代はドブさらいピークで( 世間では『 解毒 』ともいう )それどころではなく、何年も音楽を聴くことすら出来ず
でもまたある程度心身ともに回復してきて音楽を楽しめるようになった。
今は演奏活動はしていませんが、以前のように音楽を楽しみともに生きる毎日。
私の興味の対象としては他に絵画がありますが、これも最初は本当に分からなかった。
だって絵画の好きな母に美術館に連れて行かれ始めたのは幼稚園の時。
小さいので歩くのしんどいし見ても分からんし楽しくないって・・・・
でもしんどいなどと言おうものなら、普段から機嫌の悪い母の怒りに火を注ぐことになるのは火を見るよりも明らかなので
何とか耐えて楽しんでいる演技をして同行していました。
当時はさっぱり分かりませんでしたが(そりゃ分からん)それでも絵画の世界への道を拓いてくれたことは母に感謝しています。
私の場合はだからクラシック音楽と絵画鑑賞。
50年生きて思うのは、好きなことがあるということは生きるエネルギーになるということ。
生きる理由になるということ。
沢山趣味や好きなことがあればあるほどいいというわけではありませんが、たとえば私にバイクやボルダリングほかの趣味があったとする。
そうするときっと今よりもっと世界が広がっていたでしょう。
もちろん今始めてもいいけれど、細くでも長く続けることで見えてくる深み、その世界の真髄みたいなものは絶対にある。
そして長く続けることでこそ楽しめる境地は、年齢がある程度行かないと分からない楽しみでもあるということ。
学びは人生の役に立つ というと人はつい「 それがお金になるから 」みたいな貧しい発想をしがちです。
芸は身を助ける も同じ。
だけど本当のところは、その学びがある程度続いて自らの血となり肉となる
それが自分の一部となった時、それを介在して更に自分の世界を広め深めて行けるという
まさに 人生の楽しみに直結するツール だから、だからこそ 学びは人生の役に立つ なのだろうと思う。
たとえば日本語。
皆当たり前のように使っている母国語だって、学んだからこそこうしてBlogで何かを発信したり
書物から更に何かを学んだり、単純に文字から得る情報を楽しんだり、世界が広がっているわけです。
技術や知識を身に着けるということは、実はそれが人生の楽しみに直結するということ。
人生が豊かになるということ。
そんな何の役にも立たないことをして!怒or蔑
と自分が夢中になっていることを腐し妨害しようとする人は必ず出てきます。
でもその人の『 役に立つ 』とあなたにとっての『 役に立つ 』は同じではない。
誰かの夢中を妨害しようとする人は、何かに没頭してそれを継続し、その深みの素晴らしさを堪能した経験のない人。
そういう人の『 役に立つ 』は大抵『 カネになる 』であり、より正確に言うと『 言っている本人に益をもたらすもの 』。
妨害してくる人物が得するか得しないか。それだけ。あなたのことなんて1㎜も考えていません。
そんな人たちの言葉は真に受けるだけ無駄なのですよね。
猿がキーキー喚いてるわ、程度で放置してOK。
猿が失礼なら、近くで蝉がギーギー鳴いてるわ、でOK。
蝉の鳴き声(出す音?)を聞いて
私の選択間違ってるんだろうか・・蝉もああいってるし・・・
って本気で悩みませんよね?そういうこと。
私はバイクもボルダリングも全然分かりませんが、それらに夢中になっている人に
そんなことやって何になるの?
とは思わないし、言わない。
きっと私には分からないけど、それを続けているからこそ分かる深い楽しみがあるのだろうと推測できるからです。
“ 好きで続けること ” は必ずあなたを助けてくれる時が来る。それも思いもしないような形で。
あなたの『 好き 』はあなたに豊かさをもたらすもの。その感覚を是非大切にしてください。
Feebee、大好きなもの集めてあれもこれも背中に背負ってますけど何か?
コメント
散々毒を注入しておきながら、図らずも解毒剤(クラシック音楽&絵画)も仕込んでいたなんて!!そこは救われた思いがしました。
自分にも解毒剤が装備されてるのか?
思い出してみます。
好きな物は救いになりますよね。
周りを見渡して「オタク」最強だな!と思いますもん(笑)
好きなものが解毒剤になるかと言うと、それ自体が解毒してくれるということはないかな?という感じです。
ドブさらい真っ最中は鬱のどん底みたいになるので音楽や絵画どころではないのですが
解毒が進んでくるとそこに『好き』が力添えしてくれる感じになります。
オタク最強説、いいですね~♪
同感です。
損得じゃなく惹かれるもの好きなものは手放しちゃいけない。人生を豊かにしてくれます。
絵画鑑賞は、私にとってもそうです。
私が絵画に触れ始めたのは、多分佳代さんと同じ頃です。私の方が若干お姉さんですが(笑)。
モナリザが来日するなど美術界は沸いていました。坂崎乙郎(鴨居玲の盟友)が本邦初エゴン・シーレを紹介したのもこの頃、ところは早大での講義で、たいへんな熱気に包まれていたそうです。聴きたかった。
描くのも試しましたが、私はやはり見る側でした。
20年くらい前からは、現地で見る!のと印綬が騒ぐ系統立てた学びを始め、今もコツコツ続けています。
それから、紅茶と汕頭刺繍!
お金になるどころか出す一方ですが(笑)細々とであっても
私がずーっと大切にしているものです。
日本のミュージシャンのインタビュー本で、“14歳” 時の感性は一生を左右する、みたいなテーマでまとめられたものがありました。
すごく納得させられました。
世間では厨ニ病という言葉もあるそうですが…(๑˃̵ᴗ˂̵)
この坂崎乙郎さんという方、存じ上げませんでしたが結構個性の強い命式ですね!笑
汕頭刺繍分からなかったので調べてみたら、綺麗ですね。以前ベルギーのブリュージュで見たレース編みを思い出しました。
14歳の感性の話ですが、中高生あたりに聴いていた音楽ジャンルを人は一生好きで聴き続けるらしいです。
そうだそうだ!と思った記憶がありますよ。
佳代さんがなぜクラシックの道に行ったのかずっと気になっていました。
好きは人生を助ける、ほんとうにそうだと思います。
私は幼少期から絵が大好きでしたが、仕事のストレスで鬱になり数年間描いていませんでした。
今年になってまた描き始めたら、ウソみたいに心身が喜んで、絵を貰ってくれる方や絵が好きな友人があっという間にできました。
ふしぎです。
「カネのため」のところもすごく共感しました。
前の仕事も親から「カネになる」ものでないと認めてもらえないと思って頑張りました。
そう脅されるほど刷り込まれてきたし、親はお金で相当苦労したので、それはそれで愛のカタチなのかもしれませんが…
自分をねじまげすぎると、破滅するというのを身をもって体感しました。
技術・知識不足でつらいときもありますが、絵が好きでやめられないので続けていこう、とこの記事を読んで思いました。
絵を描けるのいいですね~!私絵は本気で全然ダメなので羨ましいです。
鬱が本格化すると、何かを好きとか何かをしたいと思うことすら出来ませんよね。
そのエネルギーがないねん!!という感じで。
でもある程度浮上して来たら、そこから更に浮上する時に『好き』が助力してくれる、みたいになるので『好き』は絶対にあった方がいいですよね。