性善説について算命学と絡めて書く、といいながらまたしても別の話を。
( 次回は書きますよ、ええ。)
親子関係は最も人間がテストされる場。
人は距離が近いだけ相手に対して本性が現れる。
相手に対して如何に敬意を払えるのか、相手との関係を通して自分を見つめられるのか
如何に相手に甘えず自分を保つことが出来るのか。
と書くと
そうだそうだ、子は親を敬い親に甘えるな!
と思う人が大半だと思う。
そんな教義が蔓延しているから。小さい頃から疑う間もなく深層意識に叩き込まれるから。
それは別に間違いではない。
ただ半分しか合っていない。いや、正解の半分にしか該当しないというべきか。
私がここで言っているのは反対。
親子関係が人間性をテストされる場であるのは、むしろ親側にとって。
物理的に日常生活のあれこれを世話して、子育てにはお金も掛かるし大変ですねー
そんなものは1万歩譲っても当たり前なのであり、偉そうにすることではない。
子供を持つ以上グダグダ恩着せがましく言わずにやれ。
そこで以下が出てきたら
これだけしてやったのに
親の方が立場が上なのに
生んでやったのに
ずっとお前を見てきている俺様・アタクシの方があんたのことを良く分かってるのに
なんで俺様・アタクシの思い通りになってくれないのよーキィィィィ!!!!
あーたのためを思って・お前のためを思って言ってやっているのに何で親心が分からないんだームッキィィィィ!!!
子供が自分の意志を持って一人の人間として独立していくなんて、ヤダヤダヤダァァー!(ジタバタ
これ 100%甘え です。
親が子供に甘えてるの。
いい年をして、自分以外の人間の人生をコントロールしようとしてはいけないことすら分かっていない。
お前の言うことや考えや気持ちなんかどうでもいいけど
お前は親である俺様・アタクシの心を100%汲んでくれなきゃヤダヤダヤダー!!
だって親なんだから子供の人生をああしてもこうしても、何言っても何しても許されるんだもん!
だって親なんだもん!
親はすごいんだもん!偉いんだもん!
子供は親を敬わないといけないんだもん!
俺様・アタクシの言うことを聞いてその通りにしていれば全部上手く行くんだもん!
だってトトロいたもん!
自分には子供に対して残念ながら説得力がないのだ、と自覚するところから始めなければいけない。
それはとても痛い過程だ。
それなりに一生懸命生きてきて、子供も育ててきてこの結果。
けれどももし親が人生を実に楽しそうに充実して生きていたら、自らトトロいたもん!と主張しなくとも子供は
どうやったら親みたいに楽しく幸せな人生を実現出来るだろう?
と親をじっと観察するものであり、勝手に助言を求めて来る。
親が人生の選択に関してああしなさいこうしなさいと口を出しても子供にそっぽ向かれるのは
その価値観・判断力でずっとやってきた、人生掛けた壮大な実験結果が今のあんたなんでしょ?
説得力ゼロだわ・・・絶対そうはなりたくないし、絶対にやらんわ。
と思われているということ。
とても痛くて苦しいよね。でもそれが事実。
実際大して幸せでもない、充実もしていない、何となく仕方なく生きている
ある程度の体裁は保てていても 本音では自分の人生も儘ならない状態で
子供という完全別人格の大きな才能も可能性も秘めた存在に、上から目線で口を出して
俺様・アタクシならこの子の人生を素晴らしいものにしてあげられる
と思うなんて勘違いも甚だしいわけですよ。
傲慢不遜も大概にしろ、と。
じゃぁまず先に自分の人生をもう少しどうにかなさってみれば?と。
子供の目は誤魔化せないよ。
ちゃんと真実を見抜けるから。特に親に関しては。
けれども
自分の人生儘なってない人ほど、無意識に子供の人生を思い通りに操って
そこで自分の人生の不甲斐なさを挽回しようとする。
子供の人生を利用して自分の虚栄心を見たし、
俺様・アタクシの生き方は間違ってなかった♪
と思って死ねるところまで持って行こう!と思っている。
そして残念ながら大抵はそんな自分のドロドロで真っ黒な下心には気付かない。
気付いたところでそれはむしろ美化されるべき親の愛として認知され
子供は親の言うことに従うべき、親は子供に何しても言っても許される
だって親なんだもん!その権利あるもん!
自分の方が長く生きてるんだもん!
自分の方が何でも良く分かってるんだもん!
子供のために言ってあげてるんだもん!
トトロいたもん!
楽なんだよ。
自分が自分の人生を何とかしようとするよりも。
だって子供を実験台にしてあれやこれややった結果、子供が不幸になっても自分は痛くも痒くもないから。
挙句の果てには
でも自分で決断したんでしょう?
などと言い始め、自分の責任なんて放り投げる。
厚かましい人間ほど責任を感じるどころか、被害者ヅラし始めたりする。
こんなにやってやったのに!
上手く行かないし感謝もされないしむしろ恨まれるし、一体何なの!?(怒
私が人生のバイブルとしているこの本の中でも
主人公の少年の師となる錬金術師が以下のように言う場面があります。
親子だからこれが当てはまらないなんて思ったら大間違い。
親子という近い間柄においてこそそれが問われる。試される。
本来100%全力で親の期待に応えようと愛しか与えられない存在の子供相手だからこそ
100%愛で答えてくれるという状況を自らのエゴのために利用しようと思えばし尽くせる状況で
どこまで自分に有利な状況に甘んじないか。甘えないか。
どこまで自分に謙虚さを持って、子供を一人の人間として尊重し
如何に子供の愛に甘えずに正気を保てるか。
人として天に試されているとよく思うのです。
親子だなんだ言っても、人と人との関係。
親しき中にも礼儀あり、はまさにこのことを言っているのだと思う。
親はどうしても親子関係において力を持つ者であり、だからこそ子供にしたい放題できてしまう。
それを抑制するのは 知性と 教養であり、本当の愛。
人間は楽な方へ流れる生き物なので、そのどれが欠けても子供に甘える方に流れてしまう。
例えそれが子供の人生をぶっ壊し、子供に心底不幸な人生を送らせ、死ぬ時に後悔させる結果になったとしても
そんなもん知ったこっちゃない。
しかし世界はまだまだ親に甘い。寛容すぎる。
何故か?
弱い存在である子供に口封じさせておけばそれなりに表面では平和を保てるし、何より面倒な手間が省ける。
もういいやん、それで。
というわけである。
今でこそ少しずつ子供の権利や人権の大切さなどが国際的に主張されるようになってきているけれど
それは
親という存在に社会が甘くし続けてきたツケを払わされているのが、今のグダグダになった世界なのだ
と気付いた人が増えてきているからだと思う。
人生の解は自分にしか見つけられない。
他人がヒントを与えてくれることはあっても、本当に『 これだ!』が分かるのは本人以外には有り得ない。
親が子より長く生きていると言っても、たかだか数十年。
そんな程度で、しかも自分の人生についてすら迷走状態なのに
子供の人生についてなら本人より良く分かるし本人より正解を知ってるなんて思うのは愚の骨頂。
子供に甘えるな。
親しき中にも礼儀あり。
だからこそ子に対してもある程度の距離は尊重として保ち
人の人生を操作している暇があったら、自分の人生を充実させる方に尽力した方が良い。
というか本来それしかない。
( 最近あまりに酷い実例を不意に目にしたので )
The Tragedy, 1903 Picasso
自分のエゴを愛情に見せかけるような姑息な真似をしてはいけない
見る人が見れば一発でバレます
↑ ちょっと参加カテゴリーを算命学から占いに変えてみました。というのも算命学カテゴリーは参加者が7人しかいないと今初めて気付いたからです。7人て(笑
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