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『自分一人で生きていると思うなよ』の意味(1)

 

 

随分前、まだアメブロでブログをこっそり始めた頃

チーム佳代

というブログカテゴリーを作って記事を書いていたことがありました。

が、四柱推命の鑑定をスタートする時になってこれを消したのです。

 

なぜか?

 

あまりに内容が突飛すぎて

駄目だ・・こいつ本格的に頭がイカれていやがる・・・

と思われたら鑑定依頼来ないな、と思いましてね。

それに

と怪しまれても困りますしね(笑

 

なのですが、何となく チーム佳代カテゴリー を復活させていった方が良い気がして、これから書いて行くことにします。

 

 

人間は一人では生きられない とか

今までの人生、自分一人だけで何もかも成し遂げて来たと思うなよ とか

自分一人で生きていると思うな とか

よく聞くフレーズですよね。

これら大抵は

ご先祖や家族のおかげで今の自分があると心得よ とか

今来ているもの、食べているものなんかも見知らぬ人のおかげでその恩恵にあずかってるんだよ とか

だから一人で何もかもできると思いあがるな、感謝せよ

的な意味で使われます。

もちろんそうです。それに異論はない。

 

ただしそれらのことはちょっと普通に考えれば想像がつくこと。

私が今から書きたいのは、これまた証明のしようのないあっち側の世界の話なのです。

 

『 目に見えない存在からの守りが 』などというのは、算命学でなくとも時々聞くフレーズ。

大抵はそれが無くなったお爺さんおばあさんだったりと描写されます。

私は小さい頃から

目に見えない存在なんて沢山いて当たり前だろう

それらが全く存在しないと考える方がどうにかしてる

何をどう考えたらそうなるんだ?

くらいに思っていましたし、楽器演奏ではしょっちゅう以下の記事のような不思議な経験をしていました。

あの世とこの世の中継点に成れる才能【 傷官+帝旺 】その1
毎日忙しすぎて時間がな~い ! ばっかり言ってるのに何故日々ブログを更新しているのかというと ( しようと少なくとも思っている ) こうでもしないと自分が 単なる家庭の雑用片付けマシン になってしまってる気がするからです。 自分が自分で無く...

 

何より、すごく困った時に必ずすっと助けが入るのは気付いていましたので

まあ私にも守ってくれている存在がいるわね、知ってるよ

ありがとさん♪

といつも思っていました。

 

そしてそんな存在を常に感じながら生きてきたわけですが、私は双子出産後

ベビーシッターなし

里帰り出産なし

家族血縁の助けなし

という四面楚歌状態で4歳0歳0歳の面倒をほぼ1人で見なければならず

どうしようもないところまで体( 特に背中 )を壊しました。

もうあの時のどん詰まり感はちょっと描写の仕様がありません。

無茶苦茶泣き続ける双子を代わりばんこに抱っこしておろして・・・を無限に繰り返し、背中を酷使したので

それでなくとも妊娠出産でめちゃくちゃ負担が掛かっていた背中が、更にめちゃくちゃ悪くなり

座っても横になっても、息をしてもしなくても、ずーーーーーーーーっと激痛。

でも子供たちは泣いている。

毎日24時間。

私は5分も寝られない。

というのが2年くらい続きまして、ある時私を守っているはずの見えない存在に本気でブチ切れたのです。

 

私がここまで限界突破して頑張り続けて、でも助けがなくてどうしようもないというのに

オマイら何やっとんねん、と。

サボっとんちゃうぞ、しっかり目を開けて耳かっぽじってこっちの状況を把握して援助せんかい、と。

今まで助けてくれてたのは知ってるしありがたいといつも思ってる

でも今回は今までの窮地とはわけが違うの分かるやろ

 

どーーーーーーー考えても助けるなら今やろ?

 

ていうか何でもええから、ええ加減助けんかい!

 

と内面でめちゃくちゃ怒り大爆発させたんですよ。

 

そうしたら

 

はぁ?

 

という光景に一瞬繋がりました。

 

 

こちらにつづく:

『自分一人で生きていると思うなよ』の意味(2)
普通の人には怪しまれること請け合いなこの記事の続きです: 普段目に見えない存在がつかず離れず自分のことを護っていてくれているのを知っていて だからこそ産後、限界まで自分をこき使ってこれ以上どうすればいいか全く分からず、絶望感で一杯だった時 ...

 

 

Joaquín Sorolla und Bastida (1863-1923) この水!

 

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