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出来事の原因の中には体質問題、才能問題、幼少期の育ち方など全てが含まれる

 

私はIlya Repin(イリヤ・レーピン)というロシアの画家が大好きなのですが

Boris Godunov with Ivan the Terrible

 

パリのPetit Palaisで観たレーピンの弟 Vassili Repineの肖像画

 

これ!

これはまごうことなき和製レーピンではないでしょうか!

和気清麿奏神教図 佐久間文吾 1890(明治23)年

 

見た瞬間に

うわっ、レーピンだ!

でも日本だ!何??

ってなりましたよ。

ものすごい好みの絵だどうしよう。

 


 

 

さて。

今ここに交通事故に遭った人がいるとします。それは確かに人の目には不幸に見えるでしょう。

しかし事故の原因の中には体質問題、才能問題、幼少期の育ち方など全てが含まれ、それらが集まった1つの結果として交通事故という現象が起こるのです。

つまり本当に大事な運命の謎は、そこに至るまでの諸々の要素であり過程なのです。

だかこそ占技はその人が根底に持っている要素を、様々な角度から分析していくのであります。

 

 

霊に見舞われたの、仏の供養が足りなかっただのと運命の探求をしないまま神仏のせいにしたり、逆に縋りついたりするようでは知性ある人とは言えません。


その事故を起こしたものこそ神であり、そこにはその必要があったのであります。

その出来事から人間が何を学ぶべきか、そこには自然に反したあり方が自分の中にあったのではないか探求し知るべきでありましょう。

それは間違っても罰を与えるために不運が降ってきたというわけではないのです。(高尾宗家)

 

全ての出来事に言えることですね。

天中殺や接運、その他様々難しい運気的条件の重なる時期はありますが、その時にできることは正直殆どない。すべきでないことをしないというくらい。

その時に何か解決法はありませんか?と聞かれることがよくありますが、何かちょちょっと手を入れて現象を回避したり幸運を引き寄せたりできる便利な魔法の杖は存在しないのです。

もし算命学がそんなものであれば、私はとっくに救いの女神になっていたでしょう(笑)

 

イメージ図

 

天中殺で何か起こったとしても、それはそこに至るまでの生き方の総決算。心して受け止めるしかない。

 

なーんて平常時はクリアにそう考えられますよね。

でも実際に交通事故やそれに準ずる嬉しくない出来事に見舞われたら、なかなかそうも考えられないのが人間です。

何故そんなことを書いているかと言いますと、この記事で書いたを見た後

「資本論」の経済学者カール・マルクスの寄生虫っぷりとその娘の散々な人生(3)親は子に対していとも容易く社会公認の泥棒になりうる
こういう図は実はどんな家系にも必ずどこかに存在する珍しくない形だと思う。 だから別にいいじゃん?そんなもんでしょ?ではなく、だから無念が積もる。念は見えないだけで確実に存在するものだから。深い思いほど分かって欲しいのは生きている人も死んでいる人も同じなのです。

 

今度は広い道の上、目の前の群衆にガソリン満載のタンクローリーが蓋を開けた状態で突っ込んできて、そこに誰かが意図的に点火し大爆発が起こるというこれまたしんどいを見たからです。それもその事故を3回くらい直前まで巻き戻って繰り返すんだわ。なんでだよ。

2回目以降は何がどうなるか分かるので、できるだけ人を助けて自分も逃げて・・と頑張るのだけど結局逃げる時間の余裕がなさ過ぎて毎度巻き込まれるという夢。

 

 

実際そんなことが起こったら、なかなか冷静に自らのあり方を省みて・・・なんてできそうもないなと。

何で私が!?

となるでしょうね、きっと。

 

でもそういうことが起こらないようにする対処法は、よく自分の性質を知り、後天運の流れとの兼ね合いを見て、不自然な生き方をしないということに限るのですよね。地味で時間が経たないと効果があるかどうかも分かりにくいのですが、それが一番有効なのです。

 

何があっても動じない高い精神性を育みたいものですね。

はぁ・・(←爆発を思い出しつつ)

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

これも2021年パリのPetit PalaistにおけるIlya Repin展

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