皆様こんにちは。
再び学校が始まり、朝起きてなかなか朝食まで辿り着かない(←私が)雑務の雪崩にのまれそうな生活がスタートしています。少しずつお送りすべきメールのお返事を書いているのですが、まだ届いていない方は少々お待ちください。
さて。
若い頃に苦労をしたとしても、先祖が残してくれたものを守り続けていけば助けてもらえる時が来る
という運の形があります。
茫洋としていますよね。
『先祖が残してくれたもの』って何よ?と。
これを聞くと瞬間的に
先祖が残してくれた山や田畑、土地?不動産や事業かな?
とつい有形の世界のものを思い浮かべませんか?
もちろん物質的なもの、目に見えるものを大事に継承していくことは素晴らしいことです。
しかし色々な解釈ができると思いますが『先祖が残してくれたもの』の最たるものとは『自分自身』だと私は考えています。人が命を繋いでいけるために、その過程で気持ちよく幸せに自分の使命を全うできるように、最低限の物質的なあれこれがあればいいよね、のお金だ家だ土地だ職業だ・・というサブ的存在物。モノはあくまで人の人生を支える手段であり究極的にはおまけのようなもの。
それらが守られても当の人間が滅びてしまったら何の意味もありません。本末転倒もいいところです。
もし亡くなったご先祖で
ワシが/ワタクシが必死で頑張って築き上げた富をあんな風になくしちゃって、ムキー!!
命を捨ててでも守りなさいよ!
とでも死後に思っているとしたら
あなた死んでなおそんな世俗的なブツに執着してるのですか?
ご愁傷様・・だから成仏できずそんなところでウロウロなさってるのですよ。
もういい加減欲を手放して行くべきところに行き、修行にお励みなさいな。
ということになります。
『先祖が残してくれたもの』の最たるものが『自分自身』というのは何故か。
自分の中には有無を言わせずそのご先祖のDNAという、その存在の濃縮エキス的な情報の塊が存在しているじゃないですか。自分が生きている限り、自分の中にご先祖も生きているのです。
つまりそれをちゃんと大事に守りなさいよってことです。
そして自分自身を大事にするって意外に難しいもの。
それは陰陽のバランスをちゃんと取りながら、宿命を燃やし、命が尽きるまで生き切るということです。
簡単ではありません。
だからこそそこをちゃんと抑えて生きていれば、上記の命式の特徴を持っている人は助けられますよということです。
(でもその特徴を持っていなくとも、生きている以上は多かれ少なかれ誰でも助けられているものですよ。)
本日もお読みいただきありがとうございました。
浅草蔵前
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