あかん、また間があいてしまいました。
コロナの経過ですが、子供たちは症状が出た1日目こそ発熱39度以上とか頭痛腹痛などありましたが、次の日からはもう完全に平常運転の超元気。なのにみんな家に居なくちゃいけない。 別に見張りとかないので出ようと思えば全然余裕なのだけど、一応隔離期間を守る真面目な私たち。エネルギーを持て余した子供たちは外に出ることも出来ず、居間でサッカーするんですよ!ピアノがあって花が飾ってあってクリムトとかゴッホのポスターが飾ってある居間で。
あたしゃ何も出来ないよ(白目)
一日中止むことのない騒音と、一人になれる時間・空間のない日々で、コロナは全然大したことなかったですが別の意味で私が病気になりそうです。
注:でも全員がこんな軽い症状で済むわけでもなさそうですので、まだ感染なさっていない方は引き続きご注意くださいね。
最初四柱推命を始めた頃だったか算命学に移行した時だったか?
人生っていい時と悪い時、嬉しい時期と辛い時期というのは半々なものです
と聞いて
ええええ・・・!?もうちょっとどないかなりませんのん?
ほら、四柱推命(とか算命学とか)で 8:2 とか、せめて 7:3 くらいになりませんの!?
と思ったのを覚えています。
なりませんな。
いや、厳密にはなったりすることもあるのだけれど基本は半々やわ。
半々なんですよ皆様!笑
何故かというと、やはりここでも陰陽の法則が有効だから。
悪い時とか辛い時と書きましたが、要は 調子よく波に乗ってる時じゃない時 ですね。下積みの時期、ぱっとしない時期、地味な時期などもこちらに含み得るという前提でね。
上がったら下がる、下がったら上がる。株価の折れ線グラフと同じ。
常に動きは前後互いに反動し合いながら変わっていく。そして運が上がる、下がるというのもそれを遠目で見たら緩やかに・・というのが自然な姿なのですね。急激にダイエットで体重を減らしたら必ずリバウンドが来る、あれと同じ。
なので最も自然で理想的なのは、陰陽大体半々くらいで少しずつ緩やかに上昇していくこと。
またこれは個人の人生を分野別に分けて考えた時にも当てはまります。たとえば子供運が下がっている時は仕事運は上がるなど。何もかも全て順調に、人生ずっと順風満帆!になりたいと思いますよね。右肩上がり一直線な人生。でも算命学を知れば知るほど、それが如何に不自然で、危険なことか分かります。もしそんな人がいるとしたら、それはその人の陰の部分を見ていないだけなのか、もしくはその人の陰の部分を一心に請け負っている誰かが近くにいるということ(犠牲運などといいます)。一人の人生でもそう、夫婦間でもそう、家族内でもそう。どこかが出ればどこかが凹む。自然界は必ずバランスを取らせようとしてくるから。
だから飛ぶ鳥を落とす勢いになった時にこそ『 自力でここまで来た自分スゴイ 』と己惚れず、陰で支えてくれている人を一人も見逃さない勢いで感謝することがものすごく大切になってくるのです。
その辺のことを分かれば分かるほど、今ある家族の負の部分、陰の部分は私が全部請け負いたいと思う。少なくとも家族の運を奪ってまで『 輝くアタクシ 』になりたくはないということ。そこで出た陽の部分を子供たちが人生で思いっきり開花させて行ければとよく思うのです。もちろんその辺は天の采配で、私個人の意思一つで決められることではないですけれどね。今世はもう裏方に徹して、私が持っている幸運は全部持って行ってくれていいぞ、その代わりそれを有効に使って拡大して行けよ~!という感じです。
Orchard in Blossom, 1888 by ゴッホ
コメント