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他人の嫉妬と自らの幸せについて

 

今海の見えるバルコンのある部屋に家族と滞在しています。

スペインのマヨルカ島です。

バルコンからの眺めはこんな感じ

もう少し乗り出して見るとこう

ここは1単位(←何というのか?)につき2部屋あって、4人くらいなら泊まれるのですが、うちは5人で流石に狭いので2単位=4部屋借りています。

こんな感じ

隣のバルコンの家も私たちが借りています

夜天気が良かったので、バルコンの長椅子に毛布に包まりながら横になって、心地良い波の音とコオロギの羽をすり合わせる音を聴き、ほぼ半円に輝く月を眺めながら、最近聞いた話を思い出していました。

それはあるご老人が

『 私の人生はなかなかいい人生だったと自分でも思う 』

と仰っていたと、ほぼただそれだけの話なのですが。

それを聞いた時に私は嬉しくなったのです。

と同時に、自分が小さい頃から “ 楽しく幸せに生きている人 ” には必ず反応してきたことを思い出しました。

“ 楽しく幸せに生きている人 ” に出会ったり、そういう人の話を聞くと

ああ、そんな風な人生も有りなんだ

そんな風に人生を送るという可能性も世界には存在するんだ

もっというと

そんな風に幸せに毎日を過ごしても許されるんだ、大丈夫なんだ

ぱっと目の前が明るくなり、希望の光がまた一つ増えて嬉しくなる

のです。

私の母は誰かの幸福話というものを、何が何でも許せない人でした。

特にそれが女性であればなおのこと。

誰かが自分より少しでも小マシな状態であることを知るや否や嫉妬で怒り狂い、来る日も来る日も全力でその人を罵倒しこき下ろし続けました。

おそらく今でも変わっていないでしょう。

私も彼女と一緒に悪口を言わなければめちゃくちゃ怒られたものです。

当然ながらこれ以上ない大好物は誰かの不幸話です。

誰かが失敗した、辛い思いをしている、苦労している、こんな不幸があった・・と聞けば、例外なく爛々と光輝く目で二ラニラしながら舌なめずりをしつつ

『 んまぁ~~お気の毒にっ ハート

と、さもその人に寄り添える親切な人のフリをする

もしくは

『 ほら見ろ、だから言わんこっちゃない。』

と何でも知っている風の完全上から目線での侮蔑&罵倒。

いずれにせよ隠し切れない喜びが全身から吹き出してしまいます。

妖怪みたいだと思われましたか?

私は子供の頃からそういうわけで

妖怪というのは腐りきった人間の成れの果ての姿に他ならない

と確信していました。

そんな母が何よりも許せなかったのは何でしょう?

それは最も身近にいる女性

つまり 娘である私の成功や喜び、楽しくある姿、幸福話 でした。

少しでも私が楽しくあったり

そんな気配を察知すると

特に自分が経験してこなかった楽しさを私が経験していると知るや否や

そんな浮かれていたら今に大変な目に遭う

そんな調子では社会でやっていけない

誰にも相手にされなくなる

そんな調子のいい話はもうすぐ終わってどん底に突き落とされるのは時間の問題・・・etc

まあそんな意味合いのことを普通では思いつかないような汚い言葉で全力で私に叩き付ける、全力罵詈雑言罵倒呪いコースがスタートします。

チクチクではありません、全力です。

四柱推命も算命学も学んだ今なら、それが何故かもちろん分かります。

彼女は五徳の才能オールマイティー型

しかも真ん中帝旺という身強

なのに何もしていなかった

本当に毎日ぶらぶらと何もしていなかったのです。

働きに出るわけでもなく

仕事につながるスキルを身に付けるでもなく

趣味の習い事をするわけでもなく

勉強するわけでもなく

地域の役員やボランティアに参加するわけでもなく

交友関係が盛んなわけでもなく(そんな性格なので友人は当然ゼロ)

早くに結婚して若いうちから子供の手が離れたにもかかわらず

私が思い出す彼女の姿といえば

昼間からだらだらゴロゴロ家で寝ている

起きている間はひたすら知り合いやテレビに出ている人(要は目に入る人全て)の悪口陰口怒りを炸裂

もしくは

娘である私への隅から隅までの監視&口撃

そりゃそうでしょう、有り余る最強のエネルギーを持て余しますよ。

壮年期帝旺なんて、仕事をいくつも掛け持ちしていてもエネルギーを消化しきれず、なかなか本当の意味で陽転するのは難しいほどです。

つまり彼女の場合、あまりに分かりやすい最悪のパターンの宿命陰転(持って生まれた宿命が現実生活で悪い方へ出ること)だったわけです。

そんなわけで、私は小さい頃から

“ 他人からの、特に女性からの嫉妬 ” がものすごく苦手 

でした。

今でももちろんそうです。

なので、このブログではできるだけ自分の内側・本質をストレートに出そうと思いつつも、やはり自分の喜びや幸せを表現するのに抵抗があるのです。

それらを伝えたとしても、無意識に エクスキューズ が入ってしまう。

幸せを1伝えたとしたら、口撃されないために

『 いやいや、でも私はこんな辛い思いも苦労もしてるんです 』

を9くらい入れて、免責されようと長年の癖で思ってしまっている。

でもそれ、要らないんだよなあ。

頭では分かっているけど 雀百まで でやってしまう。

でも本当は必要ない。

素直にストレートに今ある喜びや幸せを表現すれば、私が冒頭で書いたのと同じようにそれを見て

ああ、こういう生き方もあるのだな

これもOKなんだ

自分にもこういう可能性があっておかしくない

と自分の内側にある未来への選択肢がいくつか増える人だっていると思うのです。

あっ!その手があったか!的な、脳内進路がポンと一つ増えるといいますか。

脳内の枠が広がれば、それ以降の現実生活の枠も少しづつ広がるものだと私は確信しています。

もちろん私の在り方を見て何とも思わない人も

それじゃ駄目だぜと思う人もいるでしょう。

でも一人でも

ああ、それもええな グッキラキラ

と思う人が出てくる可能性があるのであれば。

エクスキューズを全部削除して、堂々と自分の幸せを提示してもいいのではないか、いやそうしよう!

とマヨルカの海を見ながら思いました。

何故なら、今の私の状態は

ずっと無理だと思いながらも希望し続けていたあれこれが全て叶っている状態だからです。

これからは遠慮なく何でも書いていこう。

 

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