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「牡丹江の戦い」で亡くなった先祖

 

別に私は常に同情や憐みの目を持って先祖の人生を追っているわけではありませんが、これはまごうことなき地獄でしょう。実際私の祖母の弟(大叔父)はこの戦いの後 9月半ば、まさに牡丹江省の病院において齢34で亡くなっている。

そして死亡が公に報告されたのは実に13年後の昭和33年。

 

どんな思いで、どんな手段で、故郷のものすごい田舎から、あんな緯度の高い中国の最果ての地に行ったのでしょうね。

泥沼の闘いの中で瀕死の状態で、きっと地元の青い美しい海をもう一度見たかっただろうな。

 

 

この方は二度運の命式の人で、きっと牡丹江省に行ってからが2度目の人生だったのでしょう。それは片手で数えられるほどの年数しか続かなかったけれど。

後天運を見ると召集令状がかかったのは30歳前後のはず。大変しっかりした現実主義の人だったので予測はついていたとは思うけれど、それでも実際に赤紙を手にするのは青天の霹靂だったのではと推測されます。

 

プライドが高く上下関係には責任を持ってきっちり従い、その場の空気をよく読み、周りの人々の機微をよく解する人で、上手く立ち回る賢い人であったはず。けれども本心ではもっと夢のある美しい理想の世界を強く求め、細かいところまできっちりこだわりを貫きたいのに貫けない状況というジレンマが巨大だったのではないかな。

納得のいくことを一つ一つ確実に進めていきたいのにやたらと上官とぶつかる。その葛藤は日々大きくなり、最終的には敵の攻撃による重傷というよりは精神から来る虚弱体質に陥り命を落としたと見られます。

 

牡丹江省

 

戸籍は良いですね。

各人の重要事実数点しか記載されていない。その人物のプライベートまでは立ち入れないようになっていて、尚且つ外部の人間も知るべきことは知ることができるようになっている。

 

この牡丹江省にてお亡くなりになった私の大叔父、結婚して(おそらく)2年で招集がかかって、それから5年後に亡くなっている。

妻の方は何故か(今現在でも電車で2時間半ほどの距離の)実家に帰って、同じ時期に亡くなっている。

 

何があったかは知る由もありません。

そもそも親族に戦死者がいたというのも実は今まで1度も聞いたこともありませんでした。親戚付き合い激薄だったのでね。

 

でも血族に何があったか事実を知るというのは大切なこと。

その理由もまた書きましょう。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

作者不明

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