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自分の可能性を過小評価しちゃいけない

 

今朝子供たちの朝ごはんとお弁当作りながら聴いていたこれ。

 

神(Grigory Sokolov氏)によるベートーベンのピアノコンチェルト1番 with レニングラードフィル。神がまだオケとの共演をなさっている大昔なので1984年の演奏。なので音質がイマイチですがやっっっっぱり!神の演奏なのですよね。そうそうこれ、これなんだよ、これでなくっちゃー!

この曲は本当に大勢のピアニストに演奏されていますが、どれも素晴らしいのだけれど聴いている時の私の顔は大抵これ。

 

 

でしばらくして神の演奏に戻って来た時の私。

 

YEEEEEEEES!!

 

って音だけでよくもまあ一人でここまで盛り上がれるもんだ・・ってくらい心中大盛り上がりです。

 

しかしこうやって好きな音を聴くたびに思うのは、かつて若かりし頃、何のつてもあてもなくとも思い切って本能に従ってこっちに来て本当に良かったということ。“ 一番好き ” に突っ込んで行って大正解だった。自分の力を信じて『私なら音で絶対に行ける(EUでの生活も何とかなる)』と思っていたし人生を自分の手で切り開く気満々だった。

 

あの時ずーっとね、家の中でぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ文句を垂れ続けていた親の言葉に従って、全く興味もやる気もないのに周りと同じようにリクルートスーツを着て就職活動して、親が外で自慢できるためだけに “ 出来るだけ名のある大きくて安定した条件のいい会社に就職して・・・ ” みたいな風潮に流されなくて本当に良かったと思うのです。

注:リクルートスーツや就活や就職が駄目という話では全くありません。好きでも興味もない方に行かなくて良かったという話。)。

 

あのまま津波のような毒の勢いに飲まれて就職できていたとしても、全く興味もやる気もないのだからその会社に失礼極まりないことだったでしょう。その後は(万年無職の引きこもりで暇を持て余した壮年期天将星の)母親に執拗に粘着され続け、一挙手一投足まで意のままにならなければその都度爆発しキレ散らかされ、行く先々で私の世界に土足で踏み込み引っ掻き回しぶち壊され、稼ぎはブン取られ・・・にほどなく耐えられなくなって自分が死ぬか母を殺すかになっていたでしょう。これは間違いない。

 

類似例としてこの事件は身につまされる。

医学部9浪、母の殺害に至った壮絶な教育虐待
2018年3月、滋賀県守山市を流れる野洲川の河川敷で髙崎妙子(仮名・当時58歳)の遺体の一部が発見された。遺体は両手、両足、頭部が切断されており体幹部のみだった。後に髙崎あかり(当時31歳)は、他の部分は燃…

 

仮にゾンビのように虫の息で生き続けていたとして、何も意のままにならない人生には絶望しかなく、その絶望の中で

あの時がチャンスだった

あのチャンスを現実のものとしていれば私はドイツで本格的に音楽を勉強できたかも知れない

良い成績も残せたかもしれない

何なら国際コンクールで演奏したり賞を獲ったりできたかもしれない

EUの国々で演奏できたかもしれない

本場の人たちは私の演奏にどう反応するだろう?

クラシックの本場で生活してみたかった

それってどんな感じだろう・・・

みたいなことをうだうだうだうだ考えて、ドロドロした生き永らえる憤怒の塊に成り下がっていたでしょう。やってみさえすれば全部叶うということも知らずに、一生タラレバに雁字搦めになって。間違いない。

 

物理的には私か親が死に、家系の流れを終わらせる午未天中殺の役割はある意味果たせたことになるのかもしれない。でもそれは最悪の形での “ 流れのぶった切り ”。そうならなくて良かったし、それに対して『否』と拒絶し自分で自分の道を歩き出してよかった。自分で歩んでいける道を選択して良かった。

当時の私にとってはドイツでにっちもさっちもいかなくなったとして路上で野垂れ死ぬことになったとしても、それすらまだ “ 日本で親に魂を喰い散らかされ、漆黒の泥のようになりながら人生を無駄遣いして死んでいく ” より遥かに誇りを持った尊厳のある死だった。

 

これを少し算命学を交えて考えてみると、私は北に龍高星があります。

龍高星と言えば体験を通じて納得し学ぶ星。北に1つ位置するだけでも

やってみたいことはどーーーーしてもやってみたい、たとえその結果が大失敗になろうとも

とあれほど強く思うものなのです。

況や主星(陽占真ん中、胸の星)龍高星をや。人生を左右するような、心の底からやってみたいチャレンジを諦めてぼんやり生きている場合じゃないんだよね。創意工夫、破壊と創造の星を人生の分岐点でフル活用せずいつするのだ。

 

そして天将星。

天将星持ちさんは思い通りにならない、頭を押さえつけられる経験、時期があった方がいい。

けれどもいつまでもそれに甘んじていてはいけない。特に人生を芯から破壊されることが分かっている時や、自分の命が危険にさらされているのに言いなりになっているようではいけない。そこで帝旺の力を奮い立たせずいつその星を使うのか。無限にエネルギーが出るということは、適材適所に自分を置けばプラスの方向へ無限にエネルギーが出せるということ。そんな場所にいないというのであれば探しに行って努力して獲得すればいい。そんな場所がないのであれば自分でゼロから作ればいい。それだけのエネルギーがあるということ。

 

そんなことたまたま上手く行ったから言えるだけじゃねえか

と思う人もいるでしょうが

冒険して上手く行った人間が言わんと誰が言うねん?

と思うわけですよ。

 

その結果私はマイペースで、私のやり方で、好きな音楽にすぐ触れられる場所で生活できています。超一流の演奏家は必ずドイツに来る。なので聴きたい!と思った人の演奏は手を伸ばせばすぐに聴ける。これは私にとって必須であり最高の贅沢。

そして人生やこの世界の種明かしに繋がる算命学に出会い、没頭し、それを通じて皆様とも繋がることができ。

小学生の頃思い描いた “ 世界を飛び回る生活 ” も毎季節家族でどこかに旅をすることで実現している。

それらを満たしながらも3人の子育ても出来て、家族もみんな健康で仲良く、毎分毎秒ギラギラ目を光らせて私を見張り逐一全力で妨害してくる悪魔もおらず極めて平和な毎日。

とこんなことはあのまま周りと同じことをしていたら絶対に実現できていなかった。

 

だからこそ自分の人生の進み方に関しては、何の責任もなく人の足を引っ張りたいだけの周りの人間にビビることなく、思い切って自分の心を優先して欲しいのです。

自分の可能性を過小評価しちゃいけないよ。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

夏が終わりますねえ。

ライン川沿いの花火大会 ならぬ両国の花火、1858年 by 歌川広重

 

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