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全ての本質は100%気持ちの世界にある、そして国も一つの有機体

 

人間関係ってどれだけ誠意を持つか、そしてそれを表すかだよね、とよく思います。

私たちの本質が存在する、目に見えないあっち側の世界は100%心の世界。

感情や気持ちの世界。

だからこそ他人の気持ちや尊厳をわざと土足で踏み潰すようなことはしちゃいけない。

こちら側の存在と目に見えない世界のその人の本質は完全に一体だから。

生きていても死んであの世に行ってもそう。

生きている人間とあの世にいる存在との間だってそう。

たとえば亡くなった親族のために身内が集まり、お経をあげてもらって、生前の感謝の気持ちを伝えたり

冥福を祈ったりするのも、あの世が気持ち100%の世界だから。

気持ちを送ることが仏様への罪滅ぼしになったり、仏様をあっちの世界で助けることに繋がって自分が徳を積むことになっていたり。

そんな気持ちのやり取りが見えない部分で自分にとって大きな力になっていたり

他人につけた傷が自分から力を奪って行っていたりすることはよくあるのだと思う。

というかそれが世界の本質だよ。

それは人間個人間だけでなく、家族や家系を1単位としても働く力学。

先祖が誰かのために成した善行が周り周って子孫に徳分として受け継がれたり

先祖の残した因縁を子孫が背負って生まれて来たり。

この辺は算命学を学んでいればお馴染みの概念ですよね。

 

私は常々人間一人が一つの有機体であるように

夫婦もひとつの有機体

家族もひとつの有機体

家系もひとつの有機体

コミュニティももひとつの有機体

そして国家もひとつの有機体

だと思っています。

 

AさんがBさんをまるで物のように自分の都合の良いように扱い、尊厳を踏み潰し、酷く傷つけたとします。

Aさんが心の底から反省し謝罪し、補償なり何なり行動で実際に誠意を見せなければ、Bさんの恨みは大変な禍根を残すでしょう。

それはAさん個人の話で終わらないかも知れない。

死ねばチャラになるよね、というものでもない。

ことが大きければ大きいほど、家族や家系にも責任が問われ、その影響は及ぶでしょう。

だってどの人もその本質は、100%気持ちの世界である見えない世界に存在するから。

生前やらかしてしまった先祖の尻拭い的役目を負って生まれてくる人も沢山いるはずです。

 

Aさんの家系がAさんのやらかしたことを他人事として無視したら?

そんな昔のこと知りませんし関係ありませんからね、と放置したら?

BさんやBさんの家系に事実を認め、心から謝罪することを怠ったら?

それどころか

そんな出来事はありませんでしたけど?

その被害妄想は何なんですか?

私たちに難癖つけるんですか?

と逆切れしたら?

 

こう例え話を出されたら、誰でも普通に

誠意をもって謝罪して、それをちゃんと行為で表し、二度とそういうことがないようにすればいい

と思うのではないかな。

 

でもそれが国単位の話になったら?

果たして国がそこまで事実認識をし、加害者としての意識を持って、実際に被害を受けた人々に誠意を尽くせるだろうか。

尽くせるとして一体どの程度まで?

 

数日前ですが

この国はここまでするのか!

とものすごく驚いたニュース。

 

ドイツ政府は第二次世界大戦のホロコースト生き残りの人たちに、コロナの特別援助金を出すことにしたと。

生存者たちは一つに高齢であり、コロナに感染したら重症に成り得る可能性のある高リスクグループに属すること。

もう一つは、強制収容所で過ごしたことにより生涯に渡って健康を損ね、それによってもコロナの高リスクグループに当てはまるであろうから

というのが理由に挙げられていました。

 

ドイツ政府は今ある現実から逃げない、真正面から体当たりして可能な限りのことをすると昨日の記事に書きました。

ボタンの掛け違えと組織メンバーの命式
大分前に書きかけ下書き保存していた記事の続きを書こうと思い書き始め、その後また時間が空いてしまったけれど更に続きを。 1週間か2週間前くらいにあった記者会見。 ベルリン市長とドロステンさん そしてドロステンさん率いるベルリン総合病院のメンバ...

私がドイツに来て最初の頃びっくりしたことの一つに、国がとにかく頻繁に第二次世界大戦でドイツがなしたこと

その犠牲者について謝罪の気持ちを表すということがあります。

しょっちゅうそういった行事やセレモニーがありテレビでもラジオでも中継されるのです。

国の要人がそのたびに現地に赴き、自分の言葉で国としての謝罪と、今後このようなことを二度と起こさないという誓いを述べています。

 

実際、ドイツという国ほど贖罪に真直ぐ心血を注いでいる国もないのではと思う。

そして私が上に書いたように、国単位で一つの有機体として見ることができるのであれば

ドイツとは正反対に過去をうやむやになかったことにし

謝罪もせず

いつも清廉潔白で何も悪いことなんてしない存在ですよという振りをし

過去の反省からすべき未来への誓いも立てず

そっと心の中で神や仏に祈る時も自分たちのことしか考えず

時間とともに禍根を深めることに気付くことすらない

そんな国の行く末は想像に余りあるのではないかと思うのです。

 

もちろんドイツでも

いつまで『 自分たちが悪かった、ゴメンなさい 』教育ばっかりやってるんだ

いい加減にしろーもううんざりだー

という声は毎度のことながら多く上がっています。

またここまで謝罪と物理的補償を重ねていくなんて、それこそ人が良すぎていいように食い荒らされるのではないか

という懸念もあるでしょう。

未来のことは分かりません。

ただ、個人の人間関係も、国同士、民族同士の関係も、本質は気持ちの世界

そこがベース。

そこが全てのスタート。

そこを無視して表面だけ自分に都合の良いようにことを進めようとしても、長い目で見ていい結果に繋がるとは私は思えないのです。

棘のように自分たちに深く刺さった禍根。

見て見ぬフリをしても時間とともに傷は深くなり腐敗していく。

表面だけ取り繕っても仕方ない。

気持ちの世界を無視した進み方に未来はない。

今まで人類の歴史の中で様々な国や民族が力を付け、強大になり、栄えたにもかかわらずあっという間に滅びて行ったのは

実はその辺に原因があるんじゃないの?

とよく思うのです。

そんなことをふと考えたニュースでした。

 

Les Internes – Entree Dans Les Geoles Allemandes, 1915 by Theophile Steinlen

 

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