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泥臭い活動の積み重ねが“本当の世界をこの世に伝える”変換機の役割をする

 

ピアニスト、エフゲニー・キーシンのドキュメンタリー。

たった14分半ながらもすっごい濃い。

ていうか余すところなく本気で生きている人って、どの瞬間を切り取っても凝縮度が半端ない。

 

すごいわ。すごい。

この人が演奏しているところを横から映している場面、顔のすぐそばにピタッとくっついて(

この人の目に見えない世界の部分、あっち側にあるこの人の本質の世界が存在してる。

あっち側とこっち側の世界の距離がめちゃくちゃ近い。

もうあっち側の世界から指を通じて出てくる音の直通感が有り得ない。

 

何のことか分からないと思うので書いてみると、これはつまりこういうことなのです。

何かを表現するということは、図にするとこんな感じ。

ただ指を動かして音を出す、筆を動かして線を描く、言葉を繋げて文を書くだけのように見えて

実は何をしているかというと、自分の存在の目に見えない部分、あっち側の本質の世界を自分を媒介として

この世に伝えているのです。

表現の本質はこれに尽きる。

自分があっちとこっちの世界の連絡通路、図でいえばオレンジの筒になって音、言葉、動きなどで伝えていくわけですが

人の魂に響く表現をする人というのは( この世的有名無名、成功失敗には一切関係なく )この筒が太くて短い。

自分自身は確かに媒介ではあるのだけれど、その距離が近くなればなるほど、受け手に強烈なものとして残る。

 

で、二次元での説明の便宜上、上に描いた絵のように表現しましたし

)では『 あっちの世界が顔の横にピタッと張り付いている 』と書きましたが

本当はあっちの世界とこっちの世界って完全に重なっています。

あっちの世界がこっちの世界を包含している。

粒子が混ざり合ってるイメージ。

こっちの世界はあっちの本質の世界がこの世で知覚し得る形で凝縮した極一部に他ならない。

そして2つは重なり合い混ざり合っていると同時に

そこには明確な線引きがある。

それは膜や壁のようなもの。

殆どの人はその膜が分厚いので、五感で知覚し得るこの世しか存在しないと大真面目に思っているけどね。

 

その2つの世界を仕切る膜や壁が薄いのが天馳星の世界の人、宿命中殺や日座中殺の人、異常干支の多い人。

次点として天報星や天極星、天干干合のある人なども。

 

じゃあその境目が薄けりゃ薄いほど天才性を発揮できるかというと、そんな単純な話でもなく

「 本当はこんな世界があるよ 」を壁の厚い一般の人にも伝わりやすくするには

この世的な実に泥臭い地味な活動をひたすら積み重ねなくちゃいけない。

その地味な積み重ねが分かれ目。

変換装置みたいな位置付けになってる。

それなしでは持って生まれた特殊性が、他人には『 ただのわけの分からない人 』として映りやすくなる。

 

極端にあの世的なものをこの世界に降ろしてくるためには

極端にこの世的な泥くさいことをひたすら積み重ねる必要がある。

( ここで陰陽のバランスをとってるんだと思う。)

両者は比例関係。

この世的な実に泥臭い地味な活動を積み重ねれば積み重ねるほど、仕切りの壁が薄くなる。

それを積み重ねれば積み重ねるほど、自分の本質の存在する無形の世界が

一般人にも理解し納得され分かる形に修正されて、色濃く光を放つことになる。

その「 この世的な泥くさい地味な活動 」とは、演奏家であれば日々の気の遠くなるようなうんざりするような地味な練習。

 

この動画で仰天したのは、彼の言葉 ( 11分あたり )

 

僕はもう46歳で10年20年前のように体力がないんだよね

だから

昔よりもっと練習してるんだ

もっともっと、もっと行けると思うから、行きたいから

 

 

 

いや、すごいよ。すごい。

これの意味するところを、実体験として経験してきたので( 苦し過ぎる日々の地味な練習の積み重ね )

もうこの人が目の前に表れたらジャンピング土下座の平身低頭で這い蹲って敬意を表しますわ。

それくらい凄いことなんだよね。

それくらい大変なこと。

神童の頃から練習量は人間離れしてたはず。

そして歳いって弱ってきたからちょっとのんびり・・・というのは素人の発想。

そうではなく

 

もっと練習しよう

 

ってなるところ!!!

 

これよ、これ。

練習もコンサートも『 死ぬんちゃう?』くらいエネルギー使うものなのでね。

多くの人はここまで強く太く休みなく、全速力で疾走し続ける10tトラックみたいな生き方はできない。

この地味な努力の積み重ねが、この人の特殊性を世界に最良の形で伝える変換機になってる。

 

( この生き方が出来るのはこの人が最身強だからというのもありますね、もちろん )

 

長くなりましたが、私が言いたいこと。

宿命と環境の一致の中で、実際の生活環境を変えるという方法

例えば冲動や宿命中殺があれば親や故郷から離れた方がいいよ、とかね。

あれは運気を開くとか、無理のない生き方を実現するのに『 大変効果的で必要な裏技 』ではある。

知ってた方が良いしやった方がいい。

でもやっぱりそれだけじゃ足りないんだよ、その上でどれだけ泥臭い実践を積み重ねるか。

この世に生まれてきた以上、どれくらいこの世的なあれこれを実践していくか。

宿命の範囲でいえば、どれだけ持って生まれた才能を使い倒すか。

それ抜きには、自分が本来実現しようと思っていた人生には成り得ない。

特に特殊カラーの強い宿命の人ほど、無形の世界を追求する人ほど

実は反対にこの世的な地味な活動が必要ということ。

 

 

たった14分半の動画なのに濃すぎて、まだ書きたいことがあります。

次に書くことはあの世関係なく超現実的なことなのだけど、今回の記事よりもっと伝わらないだろうな・・・

 

以前にも少しキーシンについて記事を書いています:

 

 

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