真面目に書かれている情報の中に 「 何か違う 」 情報が混ざる理由は2つ
という昨日の記事 からの続き
理由の1つ目:
この記事で
両者
同じ場にいて
時を同じくして
同じ空気を吸って面と向かって話をしていても
外から見たら同じ世界にいるように見えるけれど
( この世的、人間の視覚的把握 )
本当のところは全く別々の世界に住んでいる
というのはよくあることです。
と書いたように
ぱっと見は皆同じ世界に住んでいるようでも
実は皆それぞれ独自の世界に住んでいます。
重なったり重ならなかったりしながら、それぞれの世界の中に存在している。
そして、どの人も自分の世界の真理を一生懸命に訴える わけです。
これが真理なんだから
知っている自分が分からない人たちに教えてあげよう!
という親切心からのものも多いでしょう。
ただ、住んでいる世界が違うということは、それぞれの真理も別々 なんです。
Aさんにとっての真理がBさんにとっても真理であるとは限らない。
だから
参考にするのはいいけれども
100%その情報を信用しなくていいよ
ってことなんです。
鵜呑みにしなくていい、自分に必要な、これだ!と思う情報を取捨選択していい。
というか、しなはれ。
Aさんに必要な真理でも、Bさんには不要な真理かも知れない。
私は鑑定前にお渡しする 「 算命学を有効に人生にお役立ていただくために 」 という文章の中に
たとえ4000年以上の歴史があって信憑性のある算命学を使った鑑定でも
それを丸ごと自分の上位に置いて、鵜呑みにしなくていい。
自分の感覚が 「 これは違う 」 と思ったら、自分の感覚を大事にして欲しい。
といったようなことをお伝えしています。
何度もブログでも書いてることです。
なんちゃら大学の教授だから
本出版してる人だから
有名人だから
テレビ出てたから
信者が沢山いるから(←)
そんなどうでもいいところで判断して、自分の直感を無視して、何か違うと心の奥底では分かっているのに、その他人の意見に従ってしまう。
それを繰り返すことで、いとも容易く確実に 「 他に乗っ取られる自分、および自分の人生 」 が出来上がってしまう。
自分の人生の決定権をあっさりどこの馬の骨とも分からない他に明け渡してはいけない
というのはここなんです。
決定権 と改めて言われると
人生の大きな岐路に立たされた時に行使する決定権?
と思いがちですが、それだけじゃない。
それもあるけどね
日々の小さな、ほんの些細な違和感を無視せず、大切に汲み上げる
それを毎度丁寧に採用していく
そういうことの積み重ね
なんです。
話がちょっとズレましたが、日枝神社に関する情報、記事など参考になります。
が、私の体感とハッキリと違うなと思う部分もちらほらあり
そういう時に私は自信を持って迷いなく自分の感覚を選択するのです。
これは別に日枝神社に関することだけではなく、どんな場面でもそう。
頑なに自分の考えに固執しろ!
何が何でも譲るな!
という意味ではありませんよ?
もっと自分の気持ちや感覚を丁寧に大切に扱うことを心掛け
それを積み重ねていくと
自分に必要な情報、そうではない情報の区別を自分でつけられるようになるよ
ということです。
「 他人の言うことにあっさり流されてるんじゃねぇ!
もっと自分の感覚を信じろって言ってるんだ。
もっと自分を大切にするんだ。
分かったか?
分かったかどうか聞いている! 」
なーんて過激な行為には及びませんので、安心して鑑定に来て下さ~い
次回は
真面目に書かれている情報の中に 「 何か違う 」 情報が混ざる理由は2つ、その2つ目です。
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