私には子供の頃からめちゃくちゃ楽しみにしていることがあります。
それは
死んでから教えてもらえる 全ての種明かし。
え?あるんですよ?ご存じなかった?
- 何故この人生であの人とあの時あの形で出会ったのか
- 何故あの人のことが、ほぼ無関係の人なのに、遠く離れていても気になって仕方なかったのか
- あの出来事があったのは実は当時全く別の世界で起こっていたこのことと繋がりがあって、更にあの人とあの人の意識も行動も関連していて、だからこそあの形になった
とかね。
人生で起こることの全てに前もって意味があるわけでは ない と思う。
自分で起こしていった事象もあれば、そこに意味づけするのも自分。
でも同時にそこにはもっと昔、生まれる前から予定していて( 予定されていて )何らかの下地になる意味がある 場合もある。
- 何故この時代なのか
- 何故この環境なのか
- 何故この親で兄弟なのか
- 何故この道なのか
でもやっぱり一番気になるのは
今回の人生、この人と or この人のためにこれをしよう!と思って生まれてきていた場合
- その目的を十分果たせているか?
- その人のために、後悔のないよう充分やりきったか?
- もっとできることがあるんじゃないか?
ということ。
自分ではっきり分かればいいのです。
例えば( 既に何回か書いていますが )私は子供の頃から
私はこの人生で子供を3人産む
ということを知っていました。
知っていたからこそ中学生とか高校生あたりの早い時期から
将来産むことになる3人は絶対に健康に産んであげなくちゃいけない
そのためには何が何でも自分が健康であらねば
と常に責任を感じて意識していました。
この私の体は私だけのためのものではない
と分かっていたというわけです。
なので当時から、日々体に摂取するもの( 食事や薬ほか )や 体を冷やさない 的なことは常にまめに気を付けていました。
だからこそ下の双子を産んだ瞬間まず一番に思ったのが
わぁ可愛い でも
嬉しい でも
神様ありがとう でも なく
これで3人とも約束は果たしたからな!
だったんです
その瞬間、長年無意識に背負っていた結構な重責がゴロっと落ちたのが分かりました。
あれ?話がそれちゃったな・・・
そうそう、そんな感じで自分で
生まれる前からの目的は達成した!
というハッキリした実感があれば分かりやすい。
でもまだ
ちゃんと目的を果たせているか・果たせつつあるか
いまいち不明な時。
ところで私には日本にものすごく大切な人がいます。
いつも私の心の中にいる存在。
( ´∀`)σσ 明日に続く
マヨルカ島(スペイン)で食べた生ハムとワインの店での生ハム
めっっっっちゃ美味しかった~
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