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~しなさい と命令形で話す人、そこに脅しが加わる人(2)

 

(`・ω´) 昨日からの続き

画面の中のマリオ(=現実世界での自分)をどう動かしてどう生かしていくのか、画面のこっち側で決定して指令を出すプレーヤーは 自分でなければいけない と常々思う。

たとえそれが思い通りに行かなくとも、自分の感性を信じて最終決定するのは自分。

そのプレーヤーの席をあっさり他の誰か、それがたとえ親兄弟親友などの近い存在の人であっても、その誰かに譲ってはダメ なんです。

それをしてしまうと何もかもが狂ってくる。

そしてこれは人生の進路に関する大きな決断に関してだけではないと思っています。

どんな服を着たいのか

どんな言葉を使いたいのか

どれくらいの時間子供と接してどれくらいの時間一人でいるのか

どんな音楽を聴くのか

どれだけ寝るのか

メイクはするのかしないのか

するとして自分はどうしたいのか・・

そういう細かいところまで丁寧に意識を向けてみると、ありとあらゆる “ 外側の何か ” が自分の世界に混じり込んでいるのが分かるでしょう。

もちろんこの世界にただ一人で生きているわけではないので、それを100%排除することは不可能だし、それを良しとも思わない。

外側の何かを自分に取り込んで、自分の内側・本質としっくりきて心地良ければそれでいい。

でも 周りがそうしてるし目立つと困るから、叩かれるから、決まりだから みたいなところで 妥協 している時は、それは自分の本質と外見が合っていないということ。

プレーヤーの席を乗っ取られているということ。

算命学的に言えば 気 と 体 が 一致していない ということ。

自分に属する無形の世界と有形の世界にズレが生じているということ。

無意識に 

これをしなくちゃ や

だって人生こんなもんですよね

仕方ないじゃん 

で生きていないか。

これをしたいからする 

に少しずつ進路方向を転換する。

一気には無理でも、できるところから気と体、自分の内側と外側、本質と現実面を近づけていく。

それが自分の人生を生きるということ。

自らの意志を押し殺して

アドバイスという価値なんて皆無な、無責任な人のゴミみたいな言葉に従って大きすぎる妥協と共に人生を進み

不本意な結果に終わってくすぶっているところに

それでもそれがあなたの決めた道なんでしょうw(ドヤァ)

と言われてますます嫌な気分になるような生き方をするのか

周りはああだこうだ言うけれど

やっぱり私は自分の直観と意志を最優先に

自分で納得いく決断を下してそこに続く全ての流れを丸ごと受け入れ

責任を負いつつ

大変だろうけれども自分で生きていくのだ

と思うのか。

仮に結果が同じ 不本意 なものであったとしても、自分の中での納得度が全く違ってきます。

自分で決めて行動した結果というのは、たとえ苦しくても

あの時のアレは当時は間違いだったような気がしたけれど、あれで良かったのだな!

と思える時が必ず来ると思っています。

少なくとも私は今までそうでした。

まさにスティーブ・ジョブズの点と線です。

逆に不本意に外の言いなりで決断・行動したことというのは、たとえ外から見た結果が良くても “ 自分ではない何か ” がそこに混じっているという意味で、ものすごく気持ち悪いものです。

頼まれてもいないのに他人の人生にズカズカ土足で入って来て

聞かれてもいないのにゴミみたいな “ 自称アドバイス ” を垂れ流していく人というのは、間違いなく自分の人生から逃げている人で

今までに何事も成し遂げたことのない人です。

自分の人生に真正面から全力で取り組んでいないからいつも何だか不完全燃焼、そのイライラを “ 結果がどうなろうと自分は痛くも痒くもない立場 ” から指図することで一時の快感を得ようとしているだけ。

要は 無能の暇つぶし なんです。

自分の人生に全力で取り組んでいたら、頼まれてもいないのに他人の人生に首を突っ込むようなエネルギーも時間もありません。

無能の暇つぶしに付き合う必要はありません。

無能の暇つぶし からのゴミコメントも、自分の頭の中からスッキリ削除してしまいましょう。

Klimt の描く水のある風景

 

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