子供が生まれたら旅行に行けなくなるから、生まれる前に行っておいた方がいい
みたいな話を読んだ。
子供ができると手間が掛かるし
教育費にお金がかかるから旅行に回せないし
そのために仕事しなくちゃいけないし
それで時間がないし
旅行に行こうと思ったら家族の人数分×旅費になって一人 or 夫婦だけで行く時とは比べ物にならないくらい金額が跳ね上がるし
学校が始まったら安い時期にまとまった日数で行けないし
子供に合わせたプランで大人は楽しめないし・・・・云々
こんな話、サクッと頭の中から切り捨てればいい。読んだ端から忘れるといい。
こんな脅しで自分に呪いをかけても人生に何のプラスにもならないから聞き流せばいい。
( 言った本人は本気で親切心で言っていると思うけれど )
( 今回はたまたま子連れ旅行を例に挙げてみただけで、人生全般についての話です )
殆どの人は何故自分の未来を描く時に
“ ぼんやりした現状を前提条件として、そこからできそうなことを想像する ”
のか、私には昔から分からない。
本来は逆であるべき なのに。
ありとあらゆる地理的、経済的、社会的・・・
その他諸々の ≪ 現実的に見えるだけでよく見極めたら現実でも何でもない ≫ 諸事情 を
さも真実であるかのように
疑いもなく
自分の内に “ そういうものである ” と万物普遍の法則の如く素直に取り入れてしまう。
それは洗脳。
ただの洗脳。
都合のいい奴隷を大量生産する教育において連綿と受け継がれている洗脳。
社会とは、人生とはそういうものである
とあなたに言ったのは誰なのか。
せいぜい自分の親、親族、近所民、学校の先生あたりの 極端に狭い世界 の登場人物でしかないはず。
たとえ政府やマスコミがこぞって、国を挙げて
社会とは、人生とはそういうものである
キャンペーンを展開したところで、やはりそれはとてもとても狭い世界からの発言でしかない。
言っている本人は幸せそうか?
そんな人の言うことを真に受けても、人生せいぜいその人レベル止まり。
それでいいの?
そんなものを自分の人生の中心に据えて、そこからしか人生を形作れないなんて貧し過ぎる。
- 結婚はしたい
- 子供も欲しい
- 子供が生まれても行きたい時に行きたいところへ行きたいだけ自由に旅したい
が本心から湧き上がるストレートな思いであれば
その全てが可能な世界はこの世の中にあるということ。
思いは証拠。
まさか人類史上初めて自分だけがそんな思いを抱いたわけでもあるまいし
ということは
そう思って
それを実現すべくあれこれチャレンジして
実際に実現した人というのは世界には山ほどいるわけです。
他の人ができたということは、自分にもできるということ。
少なくともその可能性は存在する。
当然でしょ?
自分の内側に湧いてくる “ 本当はこうしたい ” が現実。
そこを取り違えてしまうから、人生がどんどん先細りで苦しくなる
人生の広がりの話で、別にお金の話をしているわけではありません。
優先順位 は
1: 自分はどうしたいか ( 現実 )
その次に
2: 周りを取り巻く諸条件を見極める ( 虚構 )
その上で
3: “ 私はこう生きたい ” から逆算して少しずつ生活を変えていく、努力をする
間違っても
条件ありき
で思考をスタートさせてはいけないと思う。
本当にしたいと思うことには、難しそうに見えても必ず突破口がある。
それは存在する。
それを探し当てて、時間がかかっても実現させればいいじゃない。
手探りででも少しずつ進めばいいじゃない。
と子供の頃から思ってきて
“ 私はこうしたいのだ ” を頑固にいつまでも諦めず追求してきて
今現在、世間一般の考え方からすれば無理そうな生活スタイルを実際に実現できているので書いてみました。
私が自分のサイトのTOPに書いている、この赤で囲った部分
これはまさに、今日の記事に書いたのと同じことです。
人生は、仕事は、人間関係はこんなもんだよ・・・
と一つ妥協をし始めると、自分の一部を殺して人生を譲渡することにどんどん抵抗がなくなってしまう。
そして
自分の中から湧いてくる何かを無視する、抑え込む、なかったことにするというのは
自分に対する最低の冒涜。
そんな何よりも大事なものの上に、どうでもいいものに洗脳され押し付けられた虚構を据え置かないこと。
自分の素直な思いを何よりも大切に。
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