【 広告 】

この世という虚構の世界で信じられる壮大なバグは痛みを伴う

 

また来ましたね『感謝しろ』。

フランスの欧州議会議員が「自由の女神」返還を要求…「米国はロシア寄り」指摘に米報道官は「無名政治家」と一蹴
【読売新聞】 【ワシントン=淵上隆悠】AFP通信によると、フランス選出の欧州議会議員が16日、米国が「自由の女神像」寄贈時の価値観を体現していないとして、像の返還を求めた。米ホワイトハウスのキャロライン・レビット大統領報道官は17日

フランス選出の欧州議会議員が16日、米国が「自由の女神像」寄贈時の価値観を体現していないとして、像の返還を求めた。米ホワイトハウスのキャロライン・レビット大統領報道官は17日の記者会見で、議員を「無名の下級政治家」と呼ぶなどしてこの要求を 一蹴いっしゅう した。

 

トランプ仕草をきっちり踏襲されているようで。類は友を呼ぶ、でしょうか。

 

トランプさんは自分の周りに『床にはいつくばってでも靴底まで舐めて綺麗にして差し上げます!!』な勢いの平身低頭イエスマンしか周りに置かない人なので、彼女もそれ系なのでしょう。

 

でどんな命式なの?と思って見てみると

 

あれ?

これって随分前の第一次トランプ政権の時の報道官と激似じゃない?

と思って確認してみました。

 

この人

サラ・サンダース、ホワイトハウス報道官
私は Facebook も Twitter もほぼニュースフィードとしてしか利用してないのですが、Twitter上にホントによく流れてくるこの方不快すぎて本日は画像小さ目でサラ・エリザベス・ハッカビー・サンダースさんSarah Elizab...

 

そっか、戊戌と戊辰の違いがあるのですね。

 

って今見たらサラさん、今現在アーカンソー州の知事って!Wikiを見るとお父さまがアーカンソー州の知事だったのですね、なるほど・・・。

 

それはともかくこういう人たち、私から見るととても分かりやすく 陶酔マクベス なのですよ。それも 有害派陶酔マクベス

 

マクベスについては昨日の記事をご参照のこと:

虚と実の感覚の逆転
俳優がいる。 彼が舞台上でマクベスを演じる。 舞台上で彼はマクベスになり切るけれど、上演が終わればまた一俳優に戻る。 自分が一俳優であることを彼は頭の片隅に置いているし忘れない。 それだけの分別を持ち合わせていなければ、ただの頭のおかしい人になってしまう。

 

この世は仮の滞在場所で虚構の世界であるけれど、それに気付かず与えられた役割に没頭する。なり切る。

それ自体は別に悪いことでも何でもない

そもそも本来そのためにこちらに来ているのですから。

そして一時滞在場所をより心地良く、美しく、皆が幸せに過ごせるように〇〇の役割に没頭して貢献します!であればそれは幸せなことだし素晴らしい。

こちらは 微笑ましく尊い陶酔マクベス

 

けれども根本的に壮大な勘違いをし人の価値に上下を付け、シャカリキに自分は上であると世界に印象付けずにはいられない。その一瞬の快楽のためには他者を傷つけ害すること、場合によってはその命を奪ったり世界を破壊することも厭わない。

こういうのが私にとって 有害派陶酔マクベス なのです。

 

『感謝しろ』

 

何故有害派が生まれるか。

そもそも人の価値に大小、上下はない。

これは宇宙の理。

社会が上手く機能するように、機能的役割において上下がある方がスムーズにいくから役割には上下があるというだけ。

それをその人自身の価値と混同するというとんでもなく頭の悪いことをしてしまうから。

 

真実においては等価値。

でも人間には上下があると壮大な勘違いがなされる。

それは大きなバグ

 

真実から離れると不快感が生まれる。

でもそのバグがあたかも真実であるかのように代々信じられ、世の殆どの人が盲目的にその価値観に従っていたら。

 

 

学歴が高くなければ価値がない

沢山稼いでいなければ価値がない

社会的地位がなければ価値がない

友人が多くなければ価値がない

美しくなければ価値がない

健康でなければ価値がない

勝てなければ価値がない・・・

 

小さい頃から何かしらの価値のなさをお仕着せされ、自分には価値があると証明しなければならないと信じてしまう

全てバグだ。虚構の世界のバグ。

価値がなければ存在してはいけないというバグ。

価値がなければ愛されないというバグ。

価値がなければ生きていけないというバグ。

 

どんな人にも多かれ少なかれこういう感覚はあるはず。

これは痛い。苦しい。

とても恐ろしい。

特に無条件に愛をくれるはずの親に価値のなさを日々洗脳されたなら。

 

John Singer Sargent – Orestes Pursued by the Furies (study), 1921

 

その痛みは積極的に自覚して、そこにとことん向き合わなければ残念ながら続いてしまう。

でも大抵は向き合わない。自分の弱さを認めるのが怖いから。

 

そして一瞬でもその辛い自己無価値観を軽減すべく、他を見下す。蹴落とす方に走ってしまう。

それは楽しく喜ばしい自己成長というものとは似て非なるものだ。

それは痛みを麻痺させる薬物のようなもので、どんどん横暴は加速する。

 

残念ながら殆どの人は自らの内側に対峙する恐怖から逃れるためには何でもする!に無意識に流れてしまう。それはあまりにも恐ろしいから。またあの痛みを正面から受け止めなければならないなんて、耐えられない。

だから他を加害して自分の存在価値が上であるかのように錯覚するという、薬物的対処療法に縋り続ける人が出てくる。

バグの上にバグを塗り重ねて、虚構の安堵を得ようとする。

 

そんな人が大きな権力を得てしまったら。

私たちは今それを目の当たりにしている。

 

有害派陶酔マクベス の代表であるようなトランプも(イスラエルの)ネタニヤフも成長過程で散々バグを叩きこまれ、心を破壊されてきたのだろうと思う。

その日々大きく深くなる痛みを少しでも軽減させるために、少しでも麻痺させるために、虚構の1等賞に上り詰め世界を思い通りに動かそうとする。

 

それはどれだけ多くの人の人生を、命を壊しても何とも思わないところまで来ている。

けれども世界中が彼らに平伏し阿(おもね)り、全てが彼らの思い通りになったところで、彼らの無価値観という痛みは決して消えない。心に凪は訪れない。

だからもうこれは行くところまで行く流れなのかも知れないと、最近思う。

 

鑑定ご予約はこちら

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

 

静かで平和なのがいいよね。

カール・ロヒャー『月夜の漁船』1888年、スケーエン美術館

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました