自分で全く気付かず無意識に 奴隷の鎖自慢 をしてしまっている人が多い気がする。
何か目的があって、その達成のために苦しい状況も納得した上で継続しているんだ!というのは奴隷の鎖自慢ではない。
たとえば私も音楽活動をしていた時、目標を片っ端から達成していっていた時期
←コレが毛穴という毛穴から100万も200万も放出されまくるくらい( キモチワルイわw )単調で、心身共に苦しい練習を毎日何時間も積み重ねていましたが、それはむしろ積極的に自ら取りに行っていたわけです。
これを全力でやり切った暁に見える景色は何なのか?そこに焦点を当てていたから。
逆に 無意識の 奴隷の鎖自慢 なのは例えば
- 毎日〇〇時間しか寝てない自慢
- 年間休みが○○日しかなく、後はずっと仕事してる自慢
- 兼業主婦で子供複数、家庭内老人介護もこなし自らは贅沢も余裕も良しとせず金銭面を切り詰めて、身を粉にして寝る時間も惜しんで働き尽くめよ(ドヤァ
みたいな感じでしょうか。
これが本当に自分でやりたいことであったり
本来の目的達成のためのステップアップとして必要と心底納得した上でやっているならいいと思います。
色々な生活形態、それぞれに向く人・向かない人いますのでね。
ただそれらが
だってそうするしかないやん
という ある種の諦め状態 で発生している場合。
そしてそんな納得いかない状況から逃れられないと 自らの呪縛に陥って、無理な頑張りを開き直って自慢するしかないやん・・というところまで来てしまっている場合。
本心ではこんな風になっているのに
無理・不自然 を自慢している場合ではありません。
こんな風になる前に
- 自分が無理をしていることにまず気付くこと
そして
- 自分はもっと自分に甘くてもいい
- 自分はもっと自分で日々の活動形態も方向性、テンポ、カラー・・・など何もかもを好きに、決定してもいい
- 大事なこと全てを誰かが用意した選択肢から選ぶのではなく、ゼロから好きに決定できる生活形態を実現してもいい
- 自分はもっと本来の自分として嘘なく自然に生きて良い
と理解し、納得し、肝に銘じて少しずつ方向転換すればいい。
それでも分からなければ
- 自分が無理して生きていることで利を得ているのは誰なんだ?
を考えてみるといい。
利を得ているのは家族の誰かであったり、友人知人かも知れない。
または会社やコミュニティ、ひいては国家といったような得体の知れない大きな枠に隠れた誰かであることもある。
それらの存在に乗っ取られてしまってるのですよ、自分の人生を。
それらの存在があの手この手でさも正しいことであるかのようにあなたを言いくるめて、あなたに寄生してチューチュー大事な生命力を吸い取っている。
もちろんその方向転換には多大な勇気が要るでしょう。
自分に無理を強いて生きる道にも少なからず利点はあり、それを手放すのが怖いから。
でもその利点とは
これ以上悪くはならないだろう
という 根拠のない希望的観測 だけ です。
自分を押し殺して、自分でない何者かとして生きる以上に 害悪 なことはありません。
自分にとって心身ともに悪影響なだけでなく、家族、友人、ひいては社会にまで伝播する強力な害悪 です。
今いきなり何もかもかなぐり捨てて生活を180度変えろ!
みたいな無理なことは別に言いません。
ただ、奴隷の鎖自慢をしている暇があるならば、少しの勇気を出して、0.1度でも進む方向を変えてみること。
頑張りに逃げちゃいけないんだよ。
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