今現在心の中が

凪~~~~
波風一つ立っていない凪状態。静寂。
書きたいことは沢山あれど、こういう時に無理に記事を書き続けるのも違う気がして、この10年ほぼ毎日~2-3日おきくらいの頻度で記事を書き続けてきましたが、珍しく1週間とか間隔があいています。
今は表に出るよりも、内に内に潜ってそこに集中する方がいい。
今は表に出るよりも引っ込んだ方がいい。そう思いプロフィール画像も顔を隠してみました。
今は自分の感覚を何よりも大事にしたい。

この世ではイケイケどんどん、常に全力で前進しコンスタントに結果を出すのが素晴らしい!すごい!というのが世の常ですが、自然の法則を見るとそんなことは有り得ない。昼頑張るためには夜は夜をちゃんと夜として過ごす。冬、土中で静かに栄養を蓄え辛抱強く気を窺うからこそ、春に気持ちよく芽吹くことができる。
そんな時に周りに乗せられて、ずーーーーーーっと右肩上がり一直線!ド根性で頑張らないと!みたいな分かりやすいゴリ押し前進を目指してしまうと、若い時はいざ知らず、自然の法則に反して伸びる時にも伸びられない。無理は必ず後でたたる。
静と動。その静のど真ん中に今いるなあと、年運天中殺のわたくしは強く感じるのです。

(こちらはロンドンで見かけた、観光バス内でアフタヌーンティーができるらしいサービス。あの何段にもなった素敵なアレ、完食できる自信がございませんので参加いたしませんでしたが、ちょっと面白そうですよね。)
静のど真ん中に今いる現在、今世での自分の課題についてよく考えます。
最近はもうあまり書いておりませんが、わたくしは超ド級の分かりやすい機能不全家族出身。当時はそれこそ心の中に凪状態を経験したことなどないであろう、常に満杯のエネルギーに日々増殖し続ける怒りと憎悪と妬嫉と悲しみをてんこ盛りにして、狭い家の中で長女であるわたくしにぶつけまくる実母に完全ロックオンされ、本当に精神が病んでいました。
最近Xで少々話題になっていたこちらのnote記事、ご覧になった方いらっしゃるかも知れません。

一部抜粋、ご興味おありの方は ▼クリックで開きます
結婚してたときは基本的に元夫が悪いと思ってた。今でも元夫が悪かったことのほうが多いとは思ってる。元夫はとにかく話し合いができない人だった。何か言うとすぐ黙るし、「今は話したくない」と言って逃げる。私は別に怒鳴ったり物に当たったりするわけでもなくて、普通に理由を聞いてるだけなのに、それすら嫌だったらしい。
例えば元夫が約束を忘れたとする。私は「なんで忘れたの?」と聞く。元夫は「ごめん」と言う。「謝ってじゃなくて、なんで忘れたのか聞いてる」「忘れてたから」「それは分かってる。なんで忘れたの?」「分からない」「自分がやったことなのに?」「本当に分からない」「じゃあまたやるってこと?」みたいな話を何時間もしてた。元夫が「もういいじゃん、次から気をつけるから」と言っても、「何を気をつけるの?」と聞いた。「忘れないようにする」と言われたら「どうやって?」と聞いた。具体的に答えられないなら意味がないと思ってた。
途中で「もうこの話やめたい」と言われても終わらせなかった。「なんで?」「疲れた」「私も疲れてるよ」「明日にして」「明日にしたらちゃんと話すの?」「話す」「何時?」「分からない」「じゃあまた逃げるじゃん」。別の部屋に行かれたら追いかけたこともある。ドアを閉められたら外から話したこともある。「一人にして」と言われると、「私だってこんな話したくないけど、あなたがちゃんと話さないから終わらないんだよ」と言ってた。一回「お願いだから今日はもう寝かせて」と言われたときは、「私はこの状態で寝られないけど、あなたは寝られるんだね」と言った。元夫は戻ってきた。当時は、だったら最初から逃げないで話せばいいのにと思ってた。
泣かれたことも何回かある。私は泣いてる間は待ってた。でも泣き止んだら「落ち着いた? じゃあさっきの話だけど」と続けてた。元夫には「何を言っても終わらない」と言われたことがある。私は「そんなことない。納得できる説明をしてくれたら終わる」と答えた。「何なら納得するの?」「それを私に聞くのおかしくない? 自分のことなんだから自分で考えて」。これも当時は普通のことを言ってると思ってた。
私は怒鳴らなかった。むしろ元夫が怒鳴ると「大きい声出さないで」「今感情的になってるよ」と言ってた。だから自分のほうが冷静だと思ってた。元夫から一度、「お前は絶対自分が正しいと思ってる」と言われた。私は「絶対正しいとは思ってない。私が間違ってるなら説明して」と答えた。そうしたら「そういうところだよ」と言われた。
こういう人が身近にいたことはおありでしょうか?
わたくしは実母がまさにこのタイプでした。これこのまんま。馴染みのありすぎるこの空気、ついこの長文記事(リンク先はもっと長い)を最後まで読んでしまったのですが、さすがに凪ど真ん中のわたくしの心も暗くなりましたね。

お口直しにゴッホの素敵な蟹でも観ましょう。(ナショナルギャラリー、ロンドン)
こういう風に身近な人をガン詰めしたい人というのは、自分では理性的で冷静に会話を進めているつもりでいる。大真面目に。分からないお前らが悪い、ほらどうだ?文句のつけようはあるか?理に適っているだろう?矛盾してないだろ?違うというならきっちり反証してみろよ、と。
でも相手の事情心情をガン無視で何時間も何日も何週間も口撃するこういう人たちが言いたいのはただ一つ。
この私の心のムカムカをどうにかしろ!
これに尽きる。
こういう人は原体験として何かムカムカする原因を心の中に持っている。それを解決できていない。
私は小さい頃からこれを “怒りの種” と名付けていた。怒りの種を持つ人は、ことあるごとにそのムカムカを発散させようと、虎視眈々とそのチャンスを狙っている。そして自分が気持ちよくなれる理想の言葉を引き出すまでは、相手の気持ちなど完全に無視してひたすら責め立てる。詰問し倒す。
それほどにその怒りに飲み込まれている。自分も周りも見えない。

私へのガン詰めが始まったのは、覚えている限りでは幼稚園前だったと思う。
映画を観に行ったりTVで見たりした後は決まって、正座でその感想を述べさせられた。
しかし幼稚園に行くかどうかという子供に、つまびらかに心情を表現する術などあるはずもなく「面白かった」くらいしか言うことはできなかった。(実際映画は大抵面白かった) しかしそれが気に入らない。
そうするともうその後は何時間もぶっ続けで、上の記事の女性のように間に休憩を挟んで次の日に持ち越してまで
- 面白かったっていったい何が?
- なぜ面白かったの?
- どの辺が?
- でもあのシーンの○○は面白いなんて言えるもんじゃなかったじゃない!!激怒
- それじゃおかしいじゃない
- もっと他の言葉で言ってごらんなさいよ
- 何故言えないの?
- ちゃんと映画見てたの?見てたら言えるでしょう?
- 見てなかったの?何故?どうして集中できなかったの?
- そうじゃないでしょ?
- △△の立場だったとしても面白いと言えるの?
- ◇◇じゃないの?
- いや、今お母さんが◇◇と言ったから、同じように繰り返してるだけじゃないの?
・・・・・・延々延々。
その隣で母の怒りの火の粉が自分に降りかからないようにへらりへらりと、出来るだけ存在を消し理不尽を見て見ぬフリするだけの父。
というわけで小さい頃は「映画に行く」と言われるのが心底恐ろしかったですね。
まあ映画だけでなく、こういう人は一事が万事この調子。
この私の心のムカムカをどうにかしろ!
これね、誠実にまともに取り合おうとすると100%病むのです。

わたくしも馬鹿ではないので、さすがに小学校低学年にもなればそれが「本当に子供の感想を聞きたい」のではなく「母が理想の解を引き出し気持ち良くなれるまで子を棍棒で叩き続ける儀式」であることには気づいたものです。
(「ケンタウロスと闘うテセウス」)
といった異常な家庭で毒吐き場の役割を担わされ成長すると、心が凪の状態になることなんてありません。
家は安堵できる場ではなく、ひたすら毒を盛られぶっ叩き続けられる場。もっとも忌み嫌う場。禍の元凶。
(Luca Giordano, Der Erzengel Michael stürzt die abtrünnigen Engel 1664, ウィーン美術史美術館)

怒りと憎悪の濃縮特大版魑魅魍魎の塊になってしまった人間のそばに20余年もいると、たとえそこから物理的に上手く離れられたところで、心の芯からの静けさを取り戻すまでに大変な労力と時間がかかります。
離れた瞬間に解毒終わり!完全解除!なんて簡単なものではない。
更に「家庭=最も気を張っていなければならない戦場」という経験しかしてこなかった人間が、自らの家庭を安堵の場、緩く自分そのままでいても誰にも非人間扱いされず、受け入れられる場にするのは簡単ではない。
つまりここまでくるのに時間がかかった。
でもその状態を実現できた。
今現在、家族も誰かにビクビク怯えながら、誰かの「素敵なアテクシ・ボクチンの家族」外向き演出のために自らを偽装し演技しながら日々を過ごすような、そんな不自然な生き方はしていない。

そしてそのために私が最も気を付けているのが、自分の心が安定しているということ。自分で安定させるということ。それも力業ではなく、常にバランスを観察して(ここの感覚で算命学が大いに役立つのです)。ざわつきがあればそれが目の前の事象によるものか、その事象は心内の未解決問題の単なる発露の契機でしかなく、心の奥底に“怒りの種”があるのではないかと、常に自問しています。
そう、大事なのはどのような形でも誰かに私の機嫌を取らせようとしないこと。
目の前の「イライラ爆発のきっかけ」だけを見てどうにかしようとしても、それは根から腐った木の葉が枯れている!だから葉を毟ったり緑に着色しよう!というようなもの。何の解決にもならず最後には根から倒れるだけ。
多分ね、あの世に行ったあと家系における自分の役割に関しては、血族に

あんたあんなどうしようもないドン詰まりド底辺の状態から、よく自爆テロ起こさずに、ここまで持ちこたえて挽回したよね~
と言われる自信はある。
そして人生でちゃんと成し遂げられることなんて、正直1つあれば十分でしょと思っています。だって人間は時間にもエネルギーにも限りがあるから。
その意味で。
心の凪と自分の築いた家庭で安心できる場を実現できたことは、本当に大きな果実であったとしみじみ思うのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ロンドンではエッシャー展にも足を運びました。偶然見つけて嬉しい!



こちらは何だかやたら治虫度の高い作品。


コメント
コメント一覧 (1件)
佳代さん こんにちは!ご機嫌麗しゅうございます。
佳代さんの子供の頃のお話は何度伺っても苦しい心持ちになります。家族に恵まれる、というのは人生初の、そして最大の贈り物だと思いました。うちの父は言葉にはしないけど、私が父の気に入らないことをすると殴る蹴る、自分の望んだ行動を取らないと殴る蹴るをやめないようなそんなところがありました。
まぁ主に未就学児の頃(人生初の天中殺の頃)の話ですが。佳代さんとは違ってあれこれしろと言われているわけではないので、なるべく近づかないようにして、何か言われたら従うようになるべく何もしないようにと暮らして来たのが功を奏して小さい頃以降は殴られることもほぼなくなりました。母は私が何かすると女の子なんだからそういうことはするなとかお姉ちゃんなんだから我慢しなさいとかどうするのが良いのかは示されず行動を抑制される感じでしたよ。因みに私の陰占は主星は壬ですが地支は全て土性です。陽占の主星は車騎星なのですが器は戊です。なるほどな〜と思ってしまいました。佳代さんのお辛かったご家族の話からそんなことを思い出してしまいました。両親共他界しているし、大分昔の話なので終わった話ではあるのですが。
佳代さんとご家族のご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。