29日からウィーンなのですが、何度チャレンジしても予約した宿と連絡がつかず!本日までキャンセル無料でしたのでキャンセルし、新しい宿を予約しました。こちらはベルヴェデーレ宮殿のすぐそばで中心地も近く、落ち着いた時間を過ごせるといいなと思っています。

それにしてもこういう時ウィーンだと言葉が通じるので安心なのですよね。言いたいことを言える。何かあっても全部自分で対処できる自信がある。日本国内で旅行するのと似ています。まさに近場に旅行する感じですね。(注:実際関西から北海道に飛ぶよりも近いのです。)
さて。
先日こんなことを書きました。

この世界は私対私以外。
私以外は全て神が細かく姿を変えて散らばったもの。
つまり人生は私と神との対話なのだと。
で、昨日ひーっさしぶりに原典を最初から読み始めたのですが、全く同じようなことが書いてあって笑ってしまったわ。すっかり忘れていたけれど、やっぱりそうなのよ。
ちょっとまとめてみますよ。

古代東洋人にとっては自然界そのものが神でありました。
そこに助けを求めるのではなく、そこから神が教えるところを人間自らが掴み取り実行して行こう。それが算命学の原点なのであります。
そのため掴み取る内容は人によって様々で、心の感性と次元をより高く保たなければ、神の高い次元の意志は掴めないのであります。
感性を磨き、この世界全体にアンテナを張り巡らさなければ神の意志は知り得ません。知ることがないということは神を味方に引き入れることも不可能ということなのです。
結局のところ人間の苦を救うのは神ではなく、人間自身の心であり、神は心の成長を助けること(間接的救済)はしても直接手を下して助けることはありません。
算命学が自然界の現象を敢えて神格化しないのは、現象は現象として捉え、そこから学んだことのみを神の意志として受け止めなさいと指南するものなのです。
これを読んで下さっているあなたも、道路に転がっている空き缶も、新聞に載る犯罪者も全て、私にとっては神の一部であり、神が姿を変えたもの。

あらゆる存在はもっと言えば、この人生限定で私のために設(しつら)えられた “神が背景にいる舞台セット” であり、この人生限定でお借りしているもの。
『借りる』と表現するとモノが思い浮かぶでしょうか。
でも最近つとに思うのです。
とても健康である or 病弱である

勉強が得意 or 苦手

一人が好き or 大勢でいるのが好き

勝負事に強い or 興味がないし強くもない

などといった持って生まれた能力や特性。
長女として生まれたそのポジション
〇〇の家系の一員であるということ

△△というところに住んでいるという状態
◇◇という会社で◆◆という仕事をしている

誰々という友人がいる
などの役割や立場、現状。
今調子は絶好調・不調
エネルギーが有り余っている・足りなくて大変

☆☆という方向に意識が向いている
この間までは★★に向かっていたのに

など期間限定の流れ。
一切合切全ては借りものだと強く思うのです。
全て設えられていて、プログラムされていて、今世丸々使ってその神の計画の中で必要なことを体験する世界。それが今この人生。
自分が頑張ったからアレは上手く行った!

と誰しもが思う。
でも努力は嘘ではないにせよ、やはりその成功体験、成功という状態も実は借り物で、それを体験するために天から期間限定で貸して頂いただけ。
以前上皇后美智子さまが、乳がんの手術後の影響で以前のようにピアノが弾けなくなられた状況を
今までできていたことは授かっていたもの、できなくなったことはお返ししたもの
と表現されたことがありましたが、まさにその感覚。
それは何か一つだけではなく、この世の有形無形、目に見えるもの見えないもの全てがそう。
そしてお借りしている以上は最大限活用すべきなのです。
だってせっかくあれもこれもを誰かの舞台のために一生懸命準備してあげたとしたら、本人に心行くまで使い切って欲しいと思いませんか?
舞台で『ありがとうありがとう、ナムナム』と祈ってばっかりいないで、使えるものは全部使って片っ端からやりたいことをやれー!楽しめー!チャンスを無駄にするなー!
と思うでしょう?
遠慮して使い残しがあるなんてもったいなくて天に失礼。
全て設えられ軌道に乗せられている。
でもその中にも自由は大きくある。
できることも山ほどある。
思う存分やって経験すればそれが魂の宝として蓄積される。
そして全ては人生が終わる時、天に返却されるのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
こちらは最近すみだ北斎美術館で見て感銘を受けた、日本の漫画の原点。葛飾北斎の読本。
霊験あらたかとも言えるこの幽玄の世界。
ここか、今日まで滔々と流れ続け脈々と受け継がれきた日本の漫画文化の源流は!
と痛く感銘いたしましたよ。流石の画力、伝わってくる空気が凄い。そしてなんと美しいことか。ずっと眺めていたい。

こちらは晩年の北斎が絵を描く様子。隣は画家である娘のお栄(葛飾応為)。

彼も天から頂いた画才をとことん使い倒し、そして名前も変えたいだけ変えて(笑)悔いなき人生を送ったのではないかな。
私は目は弱いのだけれど、耳は昔から異常に良い。
けれどもそれだって時が来れば徐々に天にお返しすることになる。それを分かっているからこそ悔いのないように妥協せず、聴きたいものを聴きに世界を飛び回るのです(笑)


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