パリで生まれて初めて見たもの。
セカンドハンド(中古)の眼鏡屋さん!

Vintage Eyewearと書いてあるのでそうなのでしょう。
いや~人のお古の眼鏡を使うという発想がなかったので驚きましたね。しかもそれが商売になるんだ!?と。
しかしパリには私が探し求めるような、個性的でおしゃれな眼鏡の店が結構ありましてね!
例:AIで再現してみた『パリで見かけたこんな感じ』の眼鏡


欲しかった~!写真を撮ってきたら良かったなあ。

何故買わなかったかといいますと、さすがにヨーロッパ人向けの作りの眼鏡しかなかったから。
こちらの眼鏡は皆さんここ

に眼鏡の中間の渡り廊下みたいな部分を乗せて掛けるわけです。
でも当方、典型的東アジア人ぺちゃんこ鼻でそれが不可能。
ノーズパッド

がないと眼鏡がちゃんとあるべき高さに収まらない。なので泣く泣く諦めました。
でも個性的な眼鏡、一つ800ユーロとか書いてあったなあ・・・結構な値段するけど欲しいなあ・・・ノーズパッド版作ってくれないかなあ。
さて。
昨日の記事で

私にとっては算命学は瞬時にあれもこれもが変化した魔法の杖であったし、まさに天啓を受けたと言えるものでした。つまり算命学前・算命学後で人生は一変したのです。
と書きました。
そこで何を知れて人生が変わったのかを書いてみます。4つです。
- ある時期に自分の内側の流れと感覚が思いもよらない方向へぎゅいーんと大きく変わったことがあった。抗えない力で。それは一体何だったのか。自分の間違いでおかしな方向へ行ってしまったのではないか?私のせいか?あれで良かったのか?
とずっと思っていたけれど、全て後天運で説明できたこと。
。

。 - 実母との関係。
命式を照らし合わせて、そりゃあ穏和で建設的な関係になる可能性はゼロだわと知れたこと。
。

左=私
。 - どう頑張っても集団の異端児であり一人が好きなのも、自分が悪かったわけではなく、持って生まれた性質であったこと。
。

。 - 私の家系における役目は、流れを受け止めて終わらせること。
正直これだけ分かれば、もう人生の根幹に関わる謎なんて全て解けたも同然じゃないですか。
こんなに沢山、核心に迫る答えを教えてもらっちゃっていいのですか!?と。
そして正直それ以上は要らない。
それ以上細かい具体的なことは教えてくれなくていいよ!
何故なら後のことは自分でいくらでも何とでもしますので、それ以上ネタバレしてくれなくてOKですよ!
という感じ。
それは『One Piece/ワンピース』のこの場面と同じ。

海賊王になろうとするルフィが “今まさに目指している宝や世界の謎” に既に触れ、知っている先人に会うシーン。ルフィの仲間は良かれと思って、その先人にそこに辿り着く航路を聞こうとする。
けれどもそんなの知ってしまったら冒険じゃないから聞くな!と怒るシーンなのです。
まさにこれよ。
細かく細かく隅から隅まで人生行路の正解を知ってどうする?
そんなものを後生大事に抱えて、それをきっちりなぞって、大きくずっこけることはないけれど大きな満足も得られず、結局自分が何を求めて、何を好きで、何に心うち震え感動し、何に情熱を燃やせるかも分からないまま “正解っぽい” 人生を終えるとして。
それはもう人生大失敗の大損の大無駄遣いでしょう。

と私は思うのですよね。
私の人生は私だけのもの。
誰も介入してくんな、余計な口出しはすんな、私が生きたいように生きるし全部決める。
そこに誰かの決めた正解は要らん!
と昔から思っています。

算命学は学問としてあまりに面白過ぎるので、舐めるように丁寧に全部学んでいます。
が、細かく細かくナンチャラ占技の結果に従って生きるようなことは全くしていません。正直要らんねん、そんなん。呆れるほど自分の感覚優先です。肝心の骨組み以外はどうでもいい。
算命学の細かい占技などはあくまで『面白観察対象、研究対象』であり
そうしなくちゃダメですよ!
なんて言われたら(言われないけどね)
黙っとれや、人の人生にガタガタ口出してくんな

で終わり。
外に正解を求めるよりも、もっと自分を見てあげる方がいいよ。自分に終わりはないから。人生最後までずっと付き合って一緒に生きていくのは自分だから。
そして逆説的ですが、そう生きる方が算命学は本領を発揮して輝き、役立って来るのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
でも後天運の天中殺は見て損はない。あれは大変有用。

今回パリにて。人生で初めてエスカルゴを食してみました。カタツムリです。恐ろしいですね。人生のネタになると思いチャレンジしてみましたが正直もういいかな(笑)

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