行ってきました。三日に分けて Jan Lisiecki/ヤン・リシエツキ氏の弾くベートーヴェンのピアノコンチェルトを1~5番全曲聴くコンサート。
今回のオーケストラ(Academy of St Martin in the Fields)
疲れた・・・疲れ切ってしまいました(笑)
オーケストラがね、ことあるごとにバラバラ。瞬間瞬間のタイミングが全く揃わない。何だあれは。
メンバーのレベルもバラバラ。
オーボイスト(オーボエ奏者)だけが明らかに遥かにレベルが高く、度々思った。何故この人がこのオケにいるのか。そして弦は結構良いけれどまとまりがなく、ファゴットは良かったけれど隣のフルートは常に目立ちすぎうるさすぎ。そして金管が止めを刺す。
年末のウィーンフィルがあまりに良すぎて、オケがアレだとものすごく体力を奪われるというのをすっかり忘れていました。
当然ながらピアニストとオケにはレベルの差があり過ぎて、ベートーヴェン大好きなのに3日聴いて私の内側に(疲れ以外)何も残ってない。
これは3日目前半耐えきれず、休憩入る前にロビーに出るため出口に向かった時一番上から撮った写真。大丈夫、演奏中ではなく拍手の時です。ホール自体はとても美しい素敵なホールです。
私にもちゃんと壁があった
本当に素晴らしい演奏に当たると、全ての音が完璧に調和を持ってまとまって私の身体を前から後方へ貫いていく現象が起きます。その音の波が波動砲のように次々に繰り出されて、私をずっと貫いていく感覚がある。
もちろん正面で聴いている時の話です。サイドの席ではそうはならない。
あれが起こる時のあの感触、あの空間をつい期待して毎度コンサートに足を運ぶのですが。今回
そういえば音が身体を貫いていく感覚が全くないな?
と思って観察してみると、私の身体の20~30㎝くらい離れたところに透明のバリアみたいなものがあって、そこをするりと脇に逸れて音が流れて行っていました。あれは不思議だったな。
その時に認識しましたよ。一応私にも目に見えない部分で壁はあるのだな、と。
(また怪しい話をしているな?と思ったあなた、楽しければいいのです。笑)
そして音がやはりてんでバラバラに飛んでくるのだけれど、殆どは私のところまで飛んできていなかった。もっと手前で落ちる。もしくは消える。
これは音の強弱の話ではありません。多分音に “気” がちゃんと入っているか入っていないかの違いかなと思っています。
音楽は薬
そしてやっぱり音楽は薬なのですよね。
全ての曲がとはもちろん言いませんが、長きに渡って愛されている作品というのは、高いレベルでちゃんと演奏できると聴き手の調子をものすごく整える効果がある。
でも薬も扱う人がちゃんと技術を付けて正しい形で使わないと何の効果もないように、使い手次第で毒にも薬にもなる。
音楽もそう。扱い手に高い水準が要求される。でないと奇跡は起きない。
またハイデルベルクの古い薬局を思い出しました。
クラシック音楽と算命学との馴染みの良さ
そしてこれはこの間書いた算命学の話とも通じるのですが
そこに楽譜がある。
演奏する人、聴き手、両方のレベルが高ければ高いほどそこに生まれる奇跡や効果が大きくなる。
そこに算命学がある。
解釈し伝える人、それを受ける側、両方のレベルが高ければ高いほどそこに生まれる奇跡や効果が大きくなる。
クラシック音楽と算命学って本当に馴染みが良い。共通項が多いのです。
なのでいい演奏を聴くと、全然関係なさそうな算命学の理解がどーんと深まったりする。
だから面白いのですよね。
だから今回はほとほと疲れてしまいましたが『構わん!笑』なのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
そして今週末はずっとナマで聴きたかった韓国のピアニスト、Yunchan Lim氏を聴いてまいります。
ラフマニノフの2番。楽しみ♪
Travel moments in Köln during Beethoven Cycle at @koelnmusik with @ASMForchestra pic.twitter.com/hFrKKP2JwA
— Jan Lisiecki (@janlisiecki) January 28, 2025
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