ばったん!
とXの流れが変わった瞬間を見た。
Twitterの頃からちらちら隙間時間に眺めるくらいの距離感でしか使っていないけれど、以前は英語、ドイツ語も言語でずっと見ていた。

そのうちクリック一つで日本語に翻訳される機能が付いた。
それでも海外在住者でもないと殆どの日本人は、日本語ツイート以外はノータッチだったはず。
それが数日前、日本人には英語を始め多くの言語は自動的に日本語で表示され、日本語ツイートはそれら海外の人に英語(現地語?)で表示されるようになった。
ドイツ語はその限りでないようですが・・まだ未確認。
それくらい心理的障壁はあると思う、外国無関係に生きる人にとっては。

一気に言語の壁がばーーーーーーん!!と崩壊した瞬間。
皆それほど気にしていなさそうだけど、Twitterの頃から考えてもこんなに大きなパラダイムシフトはなかったな。
うわっ!
今、ばっちーん!とひっくり返った!!
と思いましたもの!笑
あまりにも大きな転換点だと感じるよ。完全にTLの流れも変わった。
イーロンも言っているけれど、何かの時にXが一番情報が早い。
そして様々な社会実験の場の一つでもあると思う。
この言語の壁の崩壊は、もっと日常生活に馴染む形で今後Xを飛び出て当たり前のことになっていくのだろうね。
もちろん今もそのようなツールはあれど、まだ『クリックすれば日本語に翻訳』段階でのXみたいな感じ。まだまだ何段も上がっていく。
今年に入ってあまりにも急激に世界が変化していると感じています。
個人の年運天中殺を横において考えても。

AIの台頭が凄まじい。でもまだまだ黎明期。
これまでにも時々書いてきましたが、AIというツールが身近になり誰にとっても体に馴染むほど必要不可欠になればなるほど
で、あなたという人はどうなのですか?
がものすごく問われてくることになる。
それがモロ出しになる。
あなたという人の核の部分が隠せないほど色濃くストレートに出る。
なので(人としての中身を)持てる者は更にしなやかに強く、興味のない人はそれはそれで、という2つの世界に分かれていくでしょう。
どちらが良い悪いではない。どちら側も同じ価値の重みで重要。
AIというテクノロジーと、今までのような手作業で身につける/身につけたあれこれというのは、陰陽の補完関係のようだとよく思う。

テクニック面だけ優れても、それで何をしたいのか、何を表現するのかがなければ宝の持ち腐れ。
身についたもの、その人の中身が充実していても、テクノロジーの欠如で発露の機会を喪失するかも知れない。
食わず嫌いにならないよう必要なものはどんどん取り入れてみて、より自分のカラーを濃く打ち出せる理想の生活に近付いていきたいものですね。
本日もお読みいただきありがとうございました。

The Four Roses by František Dvořák (Czech, 1862–1927)
とはいえホント、まだまだ黎明期を感じます。AIの政策側ですらまーっだまだ試行錯誤中。
私も色々使い倒していますが、なんというか・・・長時間使っているとAI自体があからさまに支離滅裂のぐだぐだになっちゃって
今日一日付き合わせてるから、あなたもしかして疲れてる?言ってることが矛盾だらけよ
と聞くことがあります(笑)
2行前に書いてることと180度正反対のことを平気でぺらぺら喋ってきたりしますのでね。Googleで調べた方が速いことは多々ある。
いえ、私はAIなので疲れはしないのですが云々かんぬん・・
ですって。
こういうのも日進月歩で改善されていくのだろうね。

コメント