芍薬(しゃくやく)が大好き!
最近スーパーで見つけたので喜び勇んで買ってしまいました。嬉しいな♪
このサイトのトップページ、メインビジュアルも芍薬の開花する動画です。私も皆様も人生があのお花のように大きく咲きますように!の意味を込めて。

サイトトップを白い花にしてみるとちょっと『ご冥福を・・』みたいな寒々した雰囲気になるし、赤は強すぎるし・・ということで中間のピンクにしています。
芍薬は種類によってはとんでもなくいい香りのものがありますよね。あれはどこに行けば手に入るのかな・・・あのイメージです。
さて。
いつも『そうそう!』と思いながら読ませて頂いているこちらのブログ。

今回も私がよく書いていることと重なるな~と。
つい最近も
先祖とこの世の家系のメンバーは実は存在する世界が異なるだけで、互いに繋がって影響し合っている。
みたいなことを書きました。
で、その時に
少なくともあの世側で成仏するまでは
とお話しましたのですが、同じようなことが書かれていますね。
魂は浄化が進めば進むほど、地上世界へ干渉しなくなっていきます。

そう、成仏する(=魂の浄化が進む)と死んだ直後の世界から更に別の世界へ移行して行きます。私が何となく関知できるのは、その『直後の世界』まで。成仏した後のことはよく分かりません。
まあそこは『成仏できて良かったね~!』で十分です。
そしてリンク先にはこうあります。
亡くなった方へのメッセージは、言葉に出しても、心の中で思っても、必ず届きます。
ですが、その際に忘れてはいけないことが2つあります。
一つ目は、「本心まで伝わってしまう」ということ。
いつもわたくしの言う
あちら側にはこちらの本音しか通じないYO。本音モロ出しの丸見え。建前なんて見えないからネ。

がまさにこれです。
本日書きたい話はここから。
皆誰かに分かってもらえたら、共感してもらえたら嬉しい。それだけで納得がいったり、頑張った甲斐があったと自分を認めやすくなる。早い話が嬉しい。
『皆』って主語が大きいって?
でも実際そうでしょう。大の男が強がってみても、富や地位や学歴や筋肉や(笑?)を誇示したがるのも『すごい頑張ったんだね!』と分かって欲しいから。それに尽きる。
認めて欲しい、凄いと感心して欲しいの奥には『分かって欲しい』がある。

「もし他人からの本物の理解、共感、感謝などを受けても一切心が動かない人がいれば、それは仙人レベルに既に解脱済みの人じゃろう。」by 猫仙人
あの世に行っても同じだよ。
あの世はむしろこの世より誤魔化しが効かないので、自分で自分に納得行っていない人は、現世にいる人たちの自分への思いに大いに助けられる。
(大雑把にいうと「ええんやで~成仏してええんやで~」をプロフェッショナルにしたのが僧侶の念仏ですね。)
で、自業自得ってあるじゃないですか。
自業自得の最も大変バージョンの一つが
死後、“現世で周りの人たちにどう思われていたか/思われているか”
がダイレクトすぎるほど100%直撃すること。
どれだけお金を積んでゴージャスな墓を建てて、最高ランクの戒名を子孫が大枚はたいてつけてくれて、有名な坊さん(そんなのある?)に最高ランクのお経をあげてもらって・・・ってそんなのは向こうからは見えない。そういった物質なんてこの世の最たるもの、あの世から最も遠いもの、向こうから最も感知しづらいもの。
伝わるのはそこにある、そこにいる人の念・思いのみ。
ホンマありがとう~!めっちゃ世話なったし、おっちゃんのおかげで今の俺があるし、感謝してるし大好きや~!

が本音なら、例え墓石やお線香が無かろうが向こうの世界の人はその思いを受け取るわけです。

そっか~嬉しいなあ。自分の人生も価値あった、頑張った甲斐あったなあ。あいつも幸せそうやし思い残すことはないわ♪
と成仏への全力後押しになるわけです。
祈る方はそのつもりがなくてもね。
人からの感謝は自己肯定に繋がり、思い残しの念も打ち消す力がある。だって現世にいる人だって、人から心底感謝されたら嬉しいし、自分を全肯定された気がするじゃないですか?
しかし。
そう。

あいつ死ぬまで『ごめん』の一言もなく逝きよったわ~迷惑ばっかりかけてホンマ腹立つな!
と思う人が現世に多かったら。
そもそも豪快に恨みを買うような生き方をしている人というのは

どれだけ強がって居丈高でも、自己肯定感は地の底なものです。
自分に納得していない。
自己無価値観満載。
自分の人生なんて到底好きでも誇りでもない。
自分が嫌い。
つまるところ、思い残しの念いっぱい。
そういう人ほど死んでから成仏までの道のりで、現世の誰かからの思いという助けを得たい。でもそこから最も遠い位置にいる。
そして誰かからの自分に対する恨みにしろ嫌悪感にしろ、言葉が飛んでくるのではなく『その人になってその人の感じるところをそのまま感じる』ので逃げ場がない。言葉が刺さるどころの騒ぎではないのです。

これが本当の自業自得。
私がよく

この人死んでから大変やろなぁ
というのはこれのこと。
特に他人よりも身内、血縁、近い人ほど思いは強く深くなるので、難しい。
そしてそういった身内、血縁、近い人の念や思いほど、助けになるし足枷になる。つまりあちら側にストレートに届きやすい。
だからこそ夫婦、家族、家系といった舞台は、今世での人間磨きメイン鍛錬場なわけです。
この世で好き放題やって逃げ切れるなんてとんでもない。
なので立つ鳥跡を濁さずな生き方は大切なのです。
なかなかの不都合な真実、でもよくできた仕組みだなと思いますよ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
こんな感じでいつも仲良く楽しく愉快に生きていられれば、現世でもあの世でもスムーズ。できるだけそういう方向へ持って行こう!というのが今世の宿題の一つ。それだけなのにそれが一番難しいね。

仙厓義梵『指月布袋画賛』江戸時代 出光美術館
ああ、でも書いている内に分かってきたぞ。
終活、推し活、ポイ活(って何だ?笑)とか色々ありますが、私がしたいのは
『あの世でスッキリ成仏できるよう、思い残しなく生きよう』活
な気がしてきた。長くて言いにくいな、何かほかに考えよう。
だってこれ系の話し、始めたら止まらないもの。
じゃあどうやって生きるのよ?の具体的指針になるのが算命学、なので全部丸く繋がっているのです。
よしよし、いい感じ

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