髪がまた伸びてきて、本気で坊主にしたい!
あと10kg痩せたら本当に坊主にしようかな。
何だその基準は?
と言われそうですが、太ってるのに坊主にしたらこうなるじゃないですか?
ジャバ・ザ・ハット
いや、こっち見んな(笑)
でも10kg痩せてからにしたらこうなるでしょう?
ってどんな希望的飛躍観測だよ~! ならんやろ・笑
いや、生きる以上夢と希望は持っていた方がいいのだ。なのでシャリーズ・セロン坊主バージョンを目指して今日も頑張ろう。
自分でやらなくちゃいけない人生の課題
誰かの “自分でやらなくちゃいけない人生の課題” を奪わない と聞くと
そうだ、あれもこれもつい助けようと手を出してしまうけれど、やはり子供には自分でさせて甘やかしちゃいけないな。
と考える人は多いはずです。
そこは皆思いつく。
そして間違いではない。
けれども盲点は 親 です。
親にも一人の人間としてこの世でなすべき課題がある。
親にも一人の人間としてこの世でなすべき課題がある。
課題の中にはもちろん『誰かから助けを得ることを自分に許可する』といったようなものもあるでしょう。何でも自分一人でやらなくちゃ!周りに迷惑をかけてはいけない!!系の人であれば特にね。
でも最終的には『自分でやりなさい』という課題に帰着する。上の『誰かから助けを得ることを自分に許可する』だって自分で許可する、なのでね。
人生の最初は教えてもらったり助けを得たりしてもいいけれど、自分でやることを学びなさい。
いつまでも誰かに何とかしてもらおうと思ってばかりではいけない。
いつ自分の持って生まれた能力を開花させるのだ?
宝の持ち腐れで人生終わらせる気かい?
阪急服部天神駅のツバメちゃんたち
親という生き物も『この世でなすべき課題がある一人の人間』として生まれてきて、親という役割がくっついたに過ぎない。
けれども子供や後輩、目下の人に対しては自然に『自分でさせて、甘やかしてはいけない』と考えられるのに、親になると途端にその発想がかき消される人は多い。
同じですよ。
親の言うがままに何でも思い通りにしてあげてしてあげて・・・は親孝行ではない。
親の言うがままに何でも思い通りにしてあげることは親孝行ではない
それを続けると親も一人の人間、どんどん甘えてきます。可愛らしい甘えレベルで止まる自制心と常識のある人であれば問題ないでしょう。
けれどもこちらの人生に実害を加えてくるほど甘えが進行し、要求が一線を越え箍(たが)が外れた状態で、頻度も手段も程度も過剰なものであったなら?
日本のお総菜屋さんで豪遊して自分を甘やかしたい
この人が近所のAさんであれば。職場のBさんであれば。そんな過剰な要求をはいはいと受け入れるか?
と考えてみればいいのです。
そんなことまで知らん。
いい大人なんだから自分でどうにかしなさい。
ときっと突っぱねるでしょう。
こちらの心身に好ましくない影響を及ぼすような、日々の生活を侵食するほど度を越した要求をしてくる人を丸ごと丁寧に受け入れて甘やかすことなんてない。そこにまともな理由・正当性なんて1㎜もないからです。
これは相手が親でも同じことなのです。
相手を一人の人間として捉えることはとても大切。
それは親子というフィルターのかかった眼鏡をかけた途端に認知が狂う問題
親を大切にするなと言っているわけでは全くありません。
親子というフィルターのかかった眼鏡をかけた途端に認知が狂う問題のことを言っているのです。
何でもかんでも言いなりになってあげることは親孝行ではない。
親にも一人の人間として今世で成し遂げる課題がある。
そこから逃げて逃げて、それを家族や子供にどうにかして貰おうと押し付けて押し付けて・・・
それをやってあげたところで親は心からスッキリして、心からしてくれたことに感謝して、それで終わり!とは決してなりません。
よくご存じな方もきっと多いことでしょう。
何故甘えは際限なく度を越えたものになっていくのか
何故家族や身近な人に対する要求が過剰になるかというと、それはその人の心の中で
人生において自分で片付けなければいけない課題からまた逃げてしまった
またクリアできなかった
そこからくる本質的な葛藤、不満、自己嫌悪が、誰かに何とかしてもらうたびに膨れ上がるからです。
いつまでたっても『これだ!』というスカっとした達成感を感じられない。
そんな具体的な認識がなくとも、日ごとに募るぼわんとした、しかし濃厚な不快感を強烈に感じざるを得ず、その苦しみから逃れるためにますます横暴になっていく。
それは親の魂の成長の機会を叩き潰すこと
心優しい人ほど『自分が何とかしてあげなくちゃ!』と奮闘しますよね。たとえ自らがボロボロになろうとも、この人がスッキリ幸せになるのであればと。
でも現状はこうです。
こちらの気持ちや健康、日々の生活をひどく損なってまで親のために何かをしても、親の人生での課題を奪っただけでした・・・で人生終わりになってしまう。誰のプラスにもならないのです。
それは
親の『自分でやりたくない、できない、しない』を助長すること。
親が本当の意味で生きるチャンスを奪うこと。
親が持って生まれた能力を人生で発揮する機会を奪うこと。
『親が人生ですべきことをせずに人生を終わらせる』ことに加担すること。
親の魂の成長の機会を叩き潰すこと。
この人ならできると信じ突き放すことも愛の一つの形
親も一人の人間なのです。
相手を一人の人間として尊重する時、その人の人生の道を『甘え・甘やかし』で塞いではいけない。そこに親も子も関係ありません。
この人ならできると信じ突き放すことも愛の一つの形なのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
愛しの阪急電車と、ついぞ行けなかった万博
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