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この世は今回で

 

おっはようございます!

 

また妙な話をしますがね。

私、この世界はもういいかな

と思ったのですよね。ふと。

でも今思い出すと、より正確には

私、この世界は今回で最後かな

でした。

 

それが何かとても嫌なことがあったとか、酷く悩んで苦しいといった時であれば

『この世の中やだー』的な意味で思ったのね?

って話になりますよね。

 

でもこの時

韓国の若きピアニスト Yunchan Lim氏のそこにある静寂
アンコールがバッハのソロだったのですよね。 これがしみじみと良かった。 彼の演奏の魅力は初めてYouTubeで出会った時にも思いましたが、心の底に確かにある静寂。あの静寂はすごい。

 

アンコールのバッハを聴いてしみじみと最高だな・・・とその場にいられることに感謝の念がダダ洩れ状態の時。

ああ気持ち良くて幸せだ

の真っただ中で

私、この世界はもういいかな

が出てきたのです。

当然、その瞬間に思いますよ

 

えっ、何で今??

 

そんな最高な瞬間に何か思いが出てくるとすれば、例えばヘルマン・ヘッセの『この世には美しいものが沢山ある』系の言葉のはず。

 

ヘッセの言葉には愛が籠っていて本当に好き。

 

なのに出てきたのは『この世はもういいわ』な概念。

 

これが薄っすら違和感として残っていたのです。

でも考えれば考えるほど、あれは多分『この世は今回が最後』の意味なのだろうなと。

 

これが『この世からの逃げ』であったら嫌だな。

でも『この世はもう十分マスターしました、卒業です』だといいな。

 

いずれにせよ、私たちはあっちの世界に帰ってのほほんとした後(笑)、やっぱりその状態に飽きてまた別のところに移動します。

その先は “地球のこの世” 1つしかないわけではない。

またもう一度ここでやり残したことを仕上げるもよし。

全然別の何かを体験するために全然別の世界に行くもよし。

 

でもそれを考えると、今世で出会う人というのは本当に『袖振り合うも他生の縁』ですよ。

そして次にいつその人と『袖振り合う』か分からない。可能性はもの凄く低い。

だって同じ時代の同じ時期に、ピンポイントで同じ場所にいないといけないわけですから。

)見知らぬ人と道で袖が触れ合うような些細な出来事でさえ、前世からの深い因縁によるものだという意味

 

それを考えると家族や友人知人のみならず、今この記事を読んで下さっている皆様とも、インターネットという間に挟まったブツは存在すれど、もの凄い確率で出会っているわけです。

本当に有り難いことですよ。ナムナム(皆様に手を合わせる私)

 

そしてこの世は今回が最後というのであれば、それもまた自分の命式を見た時ものすごく納得できるのです。でしょうねと。

さて皆様はいかがでしょう?

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

ムンクのこういう絵、ホント好き。何より色に愛が籠ってる。

At the Coffee Table, 1883 Munch

 

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