おっはようございます!
また妙な話をしますがね。
私、この世界はもういいかな
と思ったのですよね。ふと。
でも今思い出すと、より正確には
私、この世界は今回で最後かな
でした。
それが何かとても嫌なことがあったとか、酷く悩んで苦しいといった時であれば
『この世の中やだー』的な意味で思ったのね?
って話になりますよね。
でもこの時

アンコールのバッハを聴いてしみじみと最高だな・・・とその場にいられることに感謝の念がダダ洩れ状態の時。
ああ気持ち良くて幸せだ
の真っただ中で
私、この世界はもういいかな
が出てきたのです。
当然、その瞬間に思いますよ
えっ、何で今??
そんな最高な瞬間に何か思いが出てくるとすれば、例えばヘルマン・ヘッセの『この世には美しいものが沢山ある』系の言葉のはず。
ヘッセの言葉には愛が籠っていて本当に好き。
なのに出てきたのは『この世はもういいわ』な概念。
これが薄っすら違和感として残っていたのです。
でも考えれば考えるほど、あれは多分『この世は今回が最後』の意味なのだろうなと。
これが『この世からの逃げ』であったら嫌だな。
でも『この世はもう十分マスターしました、卒業です』だといいな。
いずれにせよ、私たちはあっちの世界に帰ってのほほんとした後(笑)、やっぱりその状態に飽きてまた別のところに移動します。
その先は “地球のこの世” 1つしかないわけではない。
またもう一度ここでやり残したことを仕上げるもよし。
全然別の何かを体験するために全然別の世界に行くもよし。
でもそれを考えると、今世で出会う人というのは本当に『袖振り合うも他生の縁(※)』ですよ。
そして次にいつその人と『袖振り合う』か分からない。可能性はもの凄く低い。
だって同じ時代の同じ時期に、ピンポイントで同じ場所にいないといけないわけですから。
(※)見知らぬ人と道で袖が触れ合うような些細な出来事でさえ、前世からの深い因縁によるものだという意味
それを考えると家族や友人知人のみならず、今この記事を読んで下さっている皆様とも、インターネットという間に挟まったブツは存在すれど、もの凄い確率で出会っているわけです。
本当に有り難いことですよ。ナムナム(皆様に手を合わせる私)
そしてこの世は今回が最後というのであれば、それもまた自分の命式を見た時ものすごく納得できるのです。でしょうねと。
さて皆様はいかがでしょう?
本日もお読みいただきありがとうございました。
ムンクのこういう絵、ホント好き。何より色に愛が籠ってる。
At the Coffee Table, 1883 Munch
コメント