以前にこのような本のページを抑える文鎮を頂きましてね。
原典読む時にすっっっごい助かっています!ヘビーユーザ―ですよ、わたくし。
読んではPCに書き込み、書き込んでは読んで・・を繰り返すのですが、以前は毎度肘とかその辺のもので抑えていました。が、それだと本が分厚いので本の力が強く、抑えに使っているものが毎度落ちて本が閉じる。ぐぬぬ、となる。役に立たなかったのですよね。
この文鎮考えた人ホント賢いわ。
日本人の多くが「運命は固定したものだ、最初から決定しているものだ」と考えるため『運命』と聞いただけで身動きが取れなくなってしまうのです。
身動きが取れないお手上げ状態の人
それゆえ立派な知識人が『占い』と聞いただけで信じる・信じないの論法を展開するのであります。(原典)
これありますよね。
TVや雑誌に出ている有名な占い師が言ってたから~
僕の運命はこうで~
僕は私は信じる・信じない~
などの発言は、ずっと算命学をやっている立場からするとびっくりしてしまいます。
あなた社会において “頭いい人設定” で立ち回ってはるんちゃいますのん??(なのにそんなこと言っちゃうんだ??)
みたいな。
はい、これは
これは大陸的な古代中国の思考を、島国的な視野で捉えた結果であると言えるでしょう。
- 大陸と島国の違い
- 古代中国と現代の違い
2つの大きな違いからくるとも言えます。
が、
また『占い』を業とするもの自体の視野の狭さに起因するところでもあるはずです。
だと思います、ええ。
算命学って広大で深遠で、本当に身につけようと思うと根気も頭脳も絶対必要。
でもお勉強ができればそれでいいかというと、人生経験や人間性、品格そして視野の広さなど人間力とでもいうべきものがないと本当には分からない。(だから一生勉強ですし、終わりがなくて最高なのです♪)
そして算命学を駆使する側も、鑑定を受ける側も、両方にそれらが要求される。
あれば理解は深まり、人生への応用度が高くなる。
そうでなければ
わ~当たった~外れた~
で終わる。後に何も残らない。
“当たりハズレのアトラクション的いわゆる占い” を期待してくる人の相手はしませんよ、そういう人は私のところにいらしてもがっかりするだけですよ、的なことはこちらのページで随分前に書いています。

天中殺、生年月日、男女の性別、家系も全て生きるための条件、その範囲内に運命と呼べる現象が生まれてくる。
運命と言えばあたかも前世からの約束事であるかのような固定観念に捉われていると、算命学そのものの把握ができません。
また運命を一元的に捉えて 〇〇を所有するが故に『凶』などと考える近視眼的な捉え方では、処世術の範囲まで持ってこられない。
条件を満たしながら『如何に生きていくか』を探し出すことが人間の役目、人間そのものなのです。
人間の性格や人生の流れが生年月日で全て決まっているわけがない。
変えられないものは確かにある。より良く幸せに生きるための、不可変な条件や枠のようなもの。
でもその条件を満たす形であれば、後はいくらでも自由に人生を作っていけますよというのが本当のところ。
だって人生はあなたのもの。
決まり切った路線をなぞらされるためだけにわざわざこの世に生まれてくるなんて、そんなことは有り得ない。
だから自由に使っていい。
大丈夫、今釈然としない流れでも、今後いくらでも変えていける。
本日もお読みいただきありがとうございました。
「こんな顔に描かれて釈然としないわぁ。でもヘタ絵キングのマティスさんだしね・・」
Laurette in Green, 1917 by Henri Matisse
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