本日の記事は私の昔の話が出てきて長くなっております。
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先日久々に(って1か月ぶり・笑)神、Grigory Sokolov/グリゴリー・ソコロフ氏のコンサートに行ってきました。
結論。
ああ、そうなのかと。
私が神と崇めるほどの生き神様的存在のピアニストなのだけれど、もうこの域に入っている人がコンサートでミスをするとかないわけですよ。そんな時期は十代前半に通り過ぎた、遠い日の花火でしかない。
それが。
ミスではないしあからさまに演奏がストップしたというようなことでもない、コンサート終わりには皆ブラボー連発で熱狂していたので気付いた人はいなかったのだろうと思う。
けれども軌跡を外れた瞬間があった。あったのだ。
私は「えっ!?」と思い心臓がばくばくした。激しく動揺した。
このままこの方が舞台上で倒れて椅子から頽(くずお)れてしまうのではないかと恐ろしくなった。
このレベルの演奏家が軌跡を逸脱するなんてことはない。ないのだ。
なのに一瞬おぼつかないというか、不安定なところがあった。
何故私がそこまでがくがくしてしまったかというと、それを知っているから。私はそれを経験したことがある。
もちろん私は演奏家として、同じ並びで語れるようなレベルでは到底なかった。
そこはご容赦頂いた上で少し私の当時のことを書いてみようと思う。
端的に言うとそれは 人生の大きな転換期 の合図だった。それはもうあからさますぎる合図。
発表会なども含めれば私は幼稚園の頃から人前で演奏をしてきていた。それも頻繁に。
暗譜で演奏する際に舞台の上で記憶が飛んで分からなくなってしまう人を何人も見てきた。私はそれが一度もなかった。よく頑張ったとか才能があるとか、そういう話ではない。いつも「なぜ忘れてしまうのだろう、音の流れというずっと続いて行くものを?」と不思議だった。1度もなかった、途中で演奏が止まることなど。
それが止まったのだ。
舞台の上で、人生で初めてブラックアウトした。
国際コンクールでも度々優勝し、コンサートも数えきれないほど経験があり、卒試では最高得点を取った。そんな必要なあれこれを全て経験したあとなのに。
こんなことが私に起こるのか??と衝撃だった。
それと同時に
実行行為に出て現実世界に介入して来たな
と分かった。私についている目に見えない何かが。
注:当時はチーム佳代の存在をまだよく分かっていなかったのです。
何がって?
その数年前からじわじわと、実は感じてきていたのだ。
この道をずっと行くのは違うと。
実行行為とは「こっちやない言うとるやろがい」の五感で感知し得る形でのメッセージ。
Maurits Cornelis Escher
でも。
「これこそが私の生きる道だ」と100%確信して、全てを捨てて祖国を離れ見知らぬ国に移住までした。やってみたら当初描いていた夢なんて軽々超える結果をあっという間に立て続けに出すことができた。着々と夢が形になっていっている。
なのに
こっちじゃない
と心の底で感じただって?
いやいや、思い過ごしでしょう。
そんなはずはない、気のせいでしょう。
それにそもそもここまで頑張って積み上げてきた結果と実績を、そんなぼわんとした「感じ」で投げ捨てるなんて正気の沙汰じゃない!
現実的に考えればそうだ。
そしてその直感を見て見ぬふりをしてずっと演奏活動を続けた。
その結果どうなったか。
コンサート前の控室では毎度鬱病のように
いやだ、弾きたくない
どうしよう、弾きたくない
と頭を抱えるようになった。
でも全ては準備されている。会場に人は入っている。やめられない。
なので毎度めちゃくちゃ踏ん張って、気を奮い立たせて舞台に出た。
このまま頑張れば、以前のように人前で演奏するということが最高の喜び状態に戻るだろう。あの時の私に戻らなければと。
無理やり頑張った。
無理があった。
そして起こったのが舞台の上でブラックアウト。
ああ現実に介入してきたな、と気付かざるを得なかった。
だって25年続けてきて1度も起こらなかったことが自分に起こったのだから。
もちろん普通に現実的にも考えた。
そんなことが起こるなんて練習が足りなかったんじゃないの?
違う。
当時の私はその「舞台裏の悶々」を何とかすべくありとあらゆることをしていた。
練習は真っ先にできる努力の一つであり、毎日6時間やっていたのだ。それ以上は無理だった。
限界までやってこういう流れになって、そしてこういうことが起こるということは。
やはり私がお腹の底で感じていたアレは正しかったのだ。
もし今完全に音楽から離れても、本当に縁があるものであれば必ず私はここに戻ってくる。
そう思い突然、完全にやめた。
もちろん周りからは仰天された。だがそんなことはどうでもいい。
あれは人生の大きな転換期。
演奏に人生も命も賭けて生きている人間に起こるはずのないことが起こる。
それは人生の転換期の合図。
だから私はSokolov氏の演奏を聴いて、あの起こるはずのない軌道からの逸脱に気付いて戦慄したのだ。
私はあの方の演奏が好きだ。生き方も底抜けに尊敬している。
でも演奏活動がどれほどのエネルギーを必要とするかも知っている。想像を絶する大変さだ。
74歳というお年で、一体どうやって活動を続けられているのだろう?とよく思う。
いつまでもお元気で演奏していただきたい。いつまでも演奏を聴きたい。
でもそれよりもご本人が幸せに満足行く毎日を過ごしていただきたいと切に願う。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Grigory Sokolov氏と、2022年。
余談:
もちろん音楽から離れた後もずっとずっと頭の中について周った
「なぜあの時そうなったのか?」
あれだけのことをしたのに方向転換を余儀なくされて、そしてその決断に後悔がないのも謎だった。何故。
それが後に算命学を学んで全て明らかになるのです。本当に全て説明できた。その時の驚きたるや。
私しか知らなかった内情がこんな思いもよらなかったところですべて理屈で説明できた。
私が算命学に信頼を置く一番大きな理由がここなのです。
Nikolay Dobrovolsky. Crossing the Angara 1886
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