自●をした人はその最後の行為を死後延々繰り返さなくちゃいけないのか、それは天罰なのか

  ここでもチラッと書いていますが https://kayo-ruhe.com/archives/15292   あの世の気が流れ込む時期(とかそういう宿命の形)って、要はあの世が近くなる。あっち側の世界の色々なものがバラバラとランダムに流れ込んで来る。 でもこの世にいる人たちはあの世の記憶は一旦全部消されてくるのがルール。だからなのか、私に流れ込んでくる情報を掴もうとすると、砂漠の砂を握りしめる時のようにサラサラと指の隙間から流れ落ちてとても残り辛い。 これを私は  
あなた(=私)には知っといてもらってもいいけれど、まだ周りに伝えるのはやめといてね
  ってことだと解釈しています。   その中で書けることは書いて伝えていった方が良いのかなと思うのだけれど、今一つ書けることがある。というか書けるということは書いて伝えた方が良いということなのでそうします。   あのですね。  
自●をした人はその最後の(あの世に渡るための)行為を死後延々繰り返さなくちゃいけない
  ってあるじゃないですか? あれは自●したことに対する天罰ではないのです。全っ然違う。   いつも書いていることですが、あの世は思い100%の世界。 この世は思い+体という物質のセット。思いが体という入れ物に入って活動してるだけで、本質的には同じです。あの世の人もこの世の人も、体があるかないかだけの違いで本質は同じよと私は思っています。   で、皆さんも経験があるはずなのですが、何か強烈な体験をした時。虐められた、犯罪に巻き込まれたなど辛い思いをしたことや、逆にとても幸せだった瞬間などは強く心に残るものです。そういう強いインパクトを伴う経験って、それを思い出したい・思い出したくないという当人の意図に関わらず勝手に何度も脳裏で繰り返されたりしますよね。 あれです。 自●した人は死後あれが起こってる。だって直前の、しかも人生でもっともインパクトのある出来事がそれだったのだからそりゃあ思いの中でリピートされてしまうよってことです。 何となく霊感のある人はその当人の心象風景を見てしまうので、まるで天罰で繰り返させられているように思ってしまう。でもそうじゃないんだよ。そういう仕組みではない。   Les Camarades, 1916 Théophile Alexandre Steinlen   生きている人でも、例えば戦場で(したくもないのに任務上)人を殺めなければいけなかった場合。その出来事があまりにも強烈すぎて、平常生活に戻ってもその記憶と罪悪感から逃れられずPTSDに苦しむ人は多いですね。その衝撃に囚われてなかなか平常に戻れない。仕組みはあれと全く同じです。   けれどもすごく嫌なことを繰り返し思い出してしまって辛くても、何か月 or 何年かすれば少しずつ薄まって消えていきますよね。そのうち忘れはしなくとも『 ああ、そういう嫌なこともあったなあ 』くらいになる。そういう風に人間は出来ている。 そうなった時、自●した人はようやくそのリピートから抜け出して天に昇れる。 自●以外の方法であの世に渡った人に比べて自●した人が成仏し辛いのはそういう仕組みです。   また最近亡くなった人の幽霊はいても、大昔の例えばナウマン象に踏み潰されて亡くなった人の幽霊は出ないけど何で?というのも同じ話。踏み潰されて怖かった、痛かったなどの強烈な体験からくる思念も生きている人間と同じでしばらくしたら薄まって段々どうでもよくなってきます。そうしたら本人はそこから離れて次に行けるというわけです。 あの世は全て本人次第。 外的に、棍棒を持った地獄の赤鬼が天罰を食らわせて来るとかそういう話ではない。     まあこんなこと普通は別に知らなくても不自由はないよね。うん、全然知らなくていい。 なのに何故書いているかというと、一般に自●は良くない、ダメだと言われるじゃないですか。まあ確かにそうです。 でもそんなことわざわざ声高に叫ばなくともみんな知ってる。そしてそんな言葉を繰り返したところであまり自●予防には効果がないことも周知の事実。   私はそれよりも、自●遺族のその後のケア、すごい大事だよ?と思うのですよね。 自●遺族の方々は亡くなった人に近ければ近いほど大変な自責の念に駆られるでしょう。 そこに『 傷に塩酸塗り込む 』的に 自●した人は成仏できない、真っ暗な世界で酷い状況で、一人ぼっちで、悲惨な体験を延々繰り返すことになる みたいなことを聞かされたら、残り僅かなエネルギーまで踏み躙られてますます憔悴しきってしまう。そんな惨い追い打ちいる?それもそもそもあっち側の世界のことをよく分かっていない人が、何となくこうかな?くらいで説明した話でしかない。   向こうの人もこちらの人も体があるかないかの違いだけ。心の動きはあの世だろうかこの世だろうが同じ。 ただこの世では体があって活動できて、価値観もカラーも何もかも異なる存在と触れ合えるから気を持ち直したり、気を紛らわせたりするのも加速できる。そんな違いだけ。   自分でもなんてこんなこと書いてるんだろう?と思うのですが、ここまで文章に直せるということは『 これは書いて伝えて 』と言われてるってことで、ということはこの情報を必要としている人がいるということ。そういう人の目に届きますように!   [temp id=5]   これは死んでなおピアノに心ある人と、それを視覚的に捉えてしまった人の絵。 Spirit, 1885 by George Roux  

本日もお読みいただきありがとうございました。

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