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自分が満たされていないのに他人を助けようとするのは、美しいけれども違う

 

弱っている人に擦り寄って行って、助けるフリをしつつエネルギーを吸い取る人は多く存在する。

狡猾であれば、その弱っている人を都合よく利用するだけでなく

世に「 自分はこんなに弱者に対する理解があり、こんなに共感力もあり素晴らしい善人です 」アピールを実に巧妙にしたりする。

その実、結局は寄り添うフリをするだけで吸い取るだけ吸い取って消えていく。

その繰り返しで生きている。

そういう人は自らが自分を拠り所にして立てない人。

弱い人から吸い取ること、そしてそれを外にアピールして承認欲求を満たすことでしか自分を支えていられない。

弱者が弱者に寄り掛かる悪循環。

これは表向きの見え方は違えど、あらゆる人間関係に発生し得る現象だと思う。

友人知人関係、同僚・上司と部下との関係、親子・親族、師弟関係

どんな人間関係においても、心の弱さを苗床に蔓延るウイルスのようなものだ。

 

愛情でもお金でも、体力、心の安定でも何でも、誰かに分け与えよう、誰かの力になろう、助けようと思うなら

まず自らが十分満たされていないと無理だ。

まず自分を立て直すこと。満たすこと。十分幸せにすること。

ここができていないのに人助けなんて余りにもおこがましい。

そしてそれが叶えば次は最も身近な存在である家族を満たす。

その次がその外側。

外側にいい顔をして内はぞんざいに扱うのは実は簡単なのだ。

自分に近い存在ほどまともに、逃げずに向き合い、本当の意味での幸せを実現するのは難しい。

 

以前、自らの家を無料開放し来る人が得意なことをそれぞれ分担して皆で生活すれば良いじゃないか

と言ったような提案をしている人を見かけたことがあった。

なかなか良い案に見えた。

が、しばらく見ていてある瞬間に

こいつはもし自分に子供が出来て毎晩夜泣きしても「 得意な人がやれば良い 」と綺麗ごとを並べ

面倒なことから逃げて誰かに押し付ける奴だ

自分は寝不足を押してまで起きて世話をしたりしないタイプだ

といきなり分かったことがあった。

その後ひょんなことからチラッとその人に出会う機会があったのだが

実際に会ってみると、その時の私の直感を上回る黒いドロドロさのある人だった。

そんなことを急に思い出した。

 

人は弱くもなるし強くもなる。

弱さもあれば強さもそこに常にあるということ。

算命学を知らなくとも、人にはバイオリズムの波があると皆さんご存知だと思う。

私は鑑定でその人の強さ、ベストの状態を読んで伝えていく。

弱さなんて誰でも、他人に指摘されるまでもなく自ら痛感しているものだよ。

そんなところをダメ出しして共感を伝えても、何の役にも立たないとハッキリ言いたい。

それは弱っている人にヒルのようにぺったりくっついて養分を吸い取り

理解ある、共感できる、そして助けられる( フリだけだが )自分アピールで承認欲求を満たそうとする自己満足にしかならないから。

 

人には必ず強さがある。強みがある。

ただそれを活かせない環境にいるだけであったり、エネルギーが低迷する時期であるだけ。

あるものはある。

どんな人も後ろには目に見えない無限の独自の世界が広がっていて、可能性は無限だから。

綺麗ごと、絵空事のように聞こえるかも知れないけれど、実際にそうなんだよ。

人間のこの世における目に見える存在なんて、その人の見えない部分も含めた無限の大きな世界・存在が

この世的に知覚できるように現象化したごく小さな一点にしか過ぎない。

 

弱い人ほど惰性に溺れ自らの弱さに浸り続け、無意識にもより弱っている人を食い物にしようとする。

善人の顔をして。

あなたのためなのよと言いながら。

そういう人に気をつけて欲しいし、そういう人を寄せ付けないためにも

皆さんには自分に鞭打たずまずは自分を大切に、幸せにしていただければなと思います。

 

Portrait of Ivan Pokhitonov. 1889 by  Ilya Repin

 

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